南スーダンの現状はどうなっているのか

2017年01月18日 06:00
孤児院@南スーダン

孤児院を慰問し折り紙をするPKO派遣の自衛隊員(防衛省サイトより:編集部)

自衛隊も派遣されている南スーダンですが、なかなか現地の実情は伝わってきません。Sudd Instituteという現地でも信頼されている南スーダンにおけるシンクタンクの南スーダン人所長、自衛隊も派遣されている国連PKOのUNMISS幹部、そこに日本における南スーダン地域研究の第一人者である人類学者の栗本英世先生が加わった豪華シンポジウムを1月22日に開催します。是非お越しください。http://www.peacebuilders.jp/event170122.html

ところで南スーダンのシンクタンクというと想像がつかないかもしれませんが、アメリカで学位を取った南スーダン人たちが、USAID(米国援助庁)の資金も得ながら、多角的な活動をしています。え?アメリカ寄り?という印象を与えますが、基本的には「中立」で、立派にシンクタンクとして機能していて、現地でも信頼を得ています。「中立」シンクタンクに公的資金が入ること自体は、アメリカ本国でも、日本でも、どこの国でも同じです。

ちなみに国内最高のジュバ大学にも、アメリカの資金援助と、アメリカ国内のシンクタンク運営経験を持つ政府関係者らが、意思決定ランクで入っています。そういう状況は決して紛争後国などでは珍しくないので、それほど驚かれたりはしません。アメリカ以外の国でも、資金援助と人的援助は、知識層レベルで多角的に入れています。

それにしても日本では、南スーダンの話題が出るとしたら、自衛隊や憲法がらみの話ばかりですね。戦略的理解の以前の状態と言えるでしょう。戦争ばかりしている野蛮な国に、安倍首相のせいで、自衛隊が送り込まれてしまっている、早く撤退すべきだ、という文脈で扱われるばかりです。

しかし南スーダンという国ができたのは、アメリカ主導で調整がなされた「包括的和平合意」が成立した2005年からの経緯でした。国際社会の斡旋の結果、今の現状ができているわけです。国連も和平調整のときから深く関与しています。すべて南スーダン人が自分たちだけでやってきたことの結果、今の南スーダンがある、というのはあたりません。

それではなぜ、アメリカはなぜスーダンの紛争を調停したのでしょうか?当時のジョージ・W・ブッシュ大統領は、2000年の大統領選挙で辛勝した際、南部州のキリスト教右派を大きな支持基盤としていました。その米国南部州のキリスト教右派が、「スーダンでは北部のイスラム教徒に南部のキリスト教徒たちが迫害されている、アメリカは介入して何とかするべきだ」と主張していたのでした。もともとスーダンのバシル大統領の政権は、オサマ・ビン・ラディンをかくまっていたこともあるイスラム原理主義政権ですから、「対テロ戦争」の勃発とともに、スーダンが持つ意味があらためて見直されたのは当然でした。アフリカにおけるイスラム原理主義勢力の拡大の防衛線として戦略的意味も持たされたというわけです。

さらにもともとの話をすれば、「スーダン」なる国家の単位ができたのは、イギリスの植民地政策の結果だとも言えます。アフリカ大陸の南北に延びる植民地の大陸縦貫政策を進めていたイギリスと、東西に延び植民地の大陸横貫政策を進めていたフランスが文字通り遭遇して軍事衝突に至ったのが1898年「ファショダ事件」でした。準備不足であったフランス軍は撤退し、「スーダン」におけるイギリスの統治体制が完成しました。この世界史の教科書にも出てくる有名な事件の舞台となった「ファショダ村」は、今の南スーダンに位置しています。現在、最も戦闘が激しい地域の一つである上ナイル州に位置しています。

ちなみに植民地統治を確立したはずのイギリスは、今の南スーダン地域の部族の抗争および反乱に手を焼きます。その過程で部族社会の研究をする人類学者を国家政策で現地に派遣したりしました。それが文化人類学の古典として知られる大著「ヌアー族」を著したオックスフォード大学のエドワード・エヴァン・エヴァンズ=プリチャードでした。「ヌアー」というのは、現在の南スーダンの反政府側勢力の元大統領マチャールの基盤として知られる「ヌエル」と同じです(Nuer)。文化人類学者の方々にとって、「ヌアー」は古典としての響きを持つ言葉です(詳しくはPDFファイルご参照)。

「ヌアー」または「ヌエル」の居住地帯であるナイル川上流の「白ナイル川」が流れる流域は、世界最大級の湿地が「The Sudd」が広がる地域です。この湿地の存在があるため、首都ジュバから上ナイル州に陸路はもちろん、水路でもアクセスするのは著しく困難で、特に雨季では基本的に不可能です。ヘリコプターが不足している国連PKOのUNMISSが南スーダンの地方部に最低限の展開すらできないのは、全国的にインフラが整備されていないためでもありますが、「Sudd」の存在は決定的な自然障壁で、平凡な道路の建設のようなイメージで克服できるものではありません。「Sudd Institute」さんが名称に入れている「Sudd」とは、地理的に、歴史的に、政治的に、南スーダンを象徴する言葉になっているわけです。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2017年1月17日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた篠田氏に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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