「中国崩壊論」に警戒せよ

梶井 彩子

中国はいつ崩壊するの?

「中国崩壊」が指摘されるようになって、一体、何年経つだろうか。体制どころか経済さえも、まだまだ崩壊しているようには見えない。それどころか、緩やかに衰退するアメリカを凌駕せんとする勢いは、今なお継続されているように見える。

「中国崩壊論」を注意深く読めば、①条件付き崩壊(○×になった時、崩壊する) ②崩壊が「始まった」(完全崩壊までに何年もかかる) ③実質はすでに崩壊している(にもかかわらず表向きそうは見えない)――というものに分けられる。

確かに説得力があると思われるデータを提示しているものもある。常に自虐的で「日本もうダメ」「中国に従うしかない」とするような一部の人々もいることを考えれば、「中国にもこれだけの弱点がある」「日本の方がずっと安定している。中国は崩壊しそうなほど不安定」とする論調に意味はある。実際、不安定であることに間違いはないし、崩壊後のリスクも考えておかねばならない。「中国脅威論」を煽りすぎるのが問題であるのも確かだ。

だがそこは諸刃の剣。これは読む側が気を付けるべきことだと思うが、「中国崩壊論」を読んで事実を把握する、あるいは溜飲を下げるだけでなく、読んだことで中国に対して「油断」してしまうフシはないだろうか。

そんなことを思ったのは、道上尚史氏の新刊『日本エリートはズレている』(角川新書)を読んだからだ。

ここには、中国や中東諸国を「所詮、マネしかできない国」「油しか売るものがない国」などと言って見くびり、誰からも相手にされなくなっていく日本のエリートの姿が描かれている。

慢心と油断。確かにそうなのだ。筆者も「中国崩壊論」を読んでホッとしたことがある。中国に対し、「どうせそのうち自滅するだろう」「あんなアコギなことをやっていてうまくいくわけがない」とどこかで思ってはいないだろうか。

「ホッ」とできる余裕なし

中国製品の爆発、ビルの崩壊、毒食と呼ばれる食品の流通その他……これらは確かに存在しており、そういったニュースを見るたびに「中国もまだまだだな」と思う。

一つの仕事に対するきめの細やかさは日本の方がずっと上なのも事実だろう。だが、職人としてはそうであっても、国家としてはどうなのか。杜撰なのも中国の一部だが、びっくりするような才能がゴロゴロ転がっているのもまた中国だ。

国内で13億人がひしめき合い、過酷な競争を繰り広げている国と、「競争は悪しきもの」とし、がり勉が虐げられる国。今後、どちらが成長するだろうか。

経済だけではない。「どうせまともに軍艦も作れない」「早晩沈む」「中国軍は粗雑」といった指摘も、確かに事実の面も大いにあるだろう。だが絶対に油断してはならない。そもそも、油断できる余裕など、今の日本にはないのだ。

よもや安全保障関係者に油断はないと信じたいが、来日したマティス国防長官に「尖閣は安保条約五条の適用範囲内」と言われて、「アーよかった」というユルんだ空気むんむんの日本の現状を見ると不安になる。

『日本エリートはズレている』に登場するズレたエリートたちは、完全に油断している。もったいないことだ。「中国崩壊論」がそのような隙を作る手助けをしてはいないだろうか。

いつだったか、「日本はまもなく資源大国になる」という論調を見て、「ああよかった、これで子々孫々まで楽できるぞ」「少子高齢化問題も解消じゃないか」と思ったことがある。気を抜いたのはほんの一瞬だったが、「気の持ちよう」は大事だ。

正しく恐れよ。「中国崩壊論」にほだされてはいけない。