朝日新聞の「(争論)21.5兆円、私も払う?」という記事で、アゴラにもたびたび登場する竹内純子氏と、反原発派の除本理史氏の意見が紹介されている。
このタイトルは意味不明である。21兆5000億円の「賠償・廃炉・除染」費用が本当に必要なら、誰かが払うしかない。それを東電が払っても最終的には利用者に転嫁され、東電が負担できなければ税金を投入するしかない。「なぜ私企業が起こした事故の尻ぬぐいを、私たちがしないといけないのでしょうか」という除本氏は、金がなくなったら事故処理をやめろというのか。
ただし21.5兆円の中身には疑問がある。廃炉費用の8兆円は過大であり、「石棺」で処理すれば1兆円以下ですむだろう。賠償7.9兆円も今のように個別の民事訴訟ではなく、公害病訴訟のように国が行政訴訟で統一的に査定し、実態のない「風評被害」には賠償すべきではない。除染4兆円はほとんど必要がない。
さらにそのコストを誰が負担するかについても、議論の余地が大きい。図のように、今は賠償と廃炉については東電がほとんど負担することになっているが、純資産2兆5000億円の東電が、このコストを負担できるはずがないので、「自己責任」はフィクションである。
したがって「東電をつぶすべきか」という問題設定も誤っている。東電はすでにつぶれており、問題は国民負担をいかに最小化するかである。今のように東電と国の負担がごちゃごちゃになった無責任体制で、今後40年かけて21.5兆円を払うのは不可能だ。竹内氏のように会社の存続にこだわると、国との分担が不透明になり、追加負担が出てきて際限なく国民負担がふくらむ。
東電をどう処理すべきかは、企業法務では明らかである。野村修也氏なども指摘するように、会社更生法で整理して株主と債権者が損失を負担し、分社化して清算会社に国費を投入する「日本航空方式」しかない。
他方、経営危機に陥っている東芝は、今のところ政策投資銀行の融資もなしで再建する方向のようだ。これは東芝の長期的なキャッシュフローが大きいためだろう。主力事業である原子炉AP1000は全世界で数十基の契約が見込まれ、1基1000億円近い利益(保守・燃料も含めて)が出るので、7000億円ぐらいの損失は時間をかければ取り返せる。
これに対して、東電の場合は清算会社(バッド東電)が収益を上げることは考えにくいので国鉄に近い。竹内氏のいうように存続会社(グッド東電)は「楽になる」ので、前向きのビジネスにも取り組める。むしろグッド東電はピカピカの優良企業になるので、一定の処理費用を分担する必要がある。廃炉を含めて原子力部門を丸ごとバッド東電に入れることも一案だろう。
破綻処理するか否かの基準は、支払い能力(今後のキャッシュフローの現在価値)がプラスかマイナスかである。それが東芝のように(一定の期間内で)プラスになる見通しがあるなら破綻処理は必要ないが、東電のように大きくマイナスだと債権放棄が必要になる。それを政府が裁量的に決めると政治的なゆがみが大きくなるので、法的整理が望ましい。
唯一の問題は「バッド東電が分離されると士気が保てない」という点だが、今のように「贖罪意識」だけで今後30年も無意味な「廃炉」の作業を続けるのは不可能だ。バッド東電が当事者意識をもって処理を合理化するインセンティブを与えるためにも、資本分離して国有化したほうがいい。
今までの事故処理スキームは、民主党政権でドタバタと決められたもので、抜本的な見直しが必要だ。今のように巨額の国民負担を経産省の裁量で決めると、東電の利用者に電気代で数兆円の「債務の肩代わり」を求める結果になり、所得分配の点でも問題が大きい。法廷で公正な負担を決めるべきだ。