ひな祭りに考えたマッカーサーと昭和天皇のツーショット

2017年03月03日 21:00

今日はひな祭りだ。起源は、曲水の宴を張った中国の上巳節にある。昨日、新たに始まった日中文化コミュニケーションの授業では、ひな祭りの歴史と今日的意義について話した。中国の上巳節はすでに廃れている。上巳節は知らなくとも、日本の「女児節」であることは知っている中国人学生が多い。ひなあられを約30人のクラスに配った。

「赤」「緑」「白」はそれぞれ何を意味するか?「白=雪=純潔」、「緑=稲=収穫」ぐらいはなんとかたどり着く。そして、

「赤は桜!」

とすかさず答えが返ってくる。日本文化になじみすぎているのだ。

「上巳節が根源。自分たちの文化を振り返ってみてください」

こう助け舟を出して、ようやく「桃」の答えが出た。海を隔てて伝わった文化を通じ、自分たちの伝統を見直してもいい。もともと文化は伝播し、循環し、混然と溶け合うものである。

関東と関西で雛飾りのお内裏様とお雛様の位置が入れかわっていることはしばしば話題になる。京都は左が男子、右が女子、東京は右が男子、左が女子だ(向かってみた場合は逆)。左近の桜と右近の橘は、桜に重きを置いている。貴族文化に根を持つ以上、京都のスタイルが先で、それが変わったのである。

京都は中国の唐代にならった。漢代まで中国では右が左よりも上だったが、唐代にひっくり返った。以前も書いたが、漢代から唐代までは戦乱が続き、北方騎馬民族による支配があって、箸のおき方も横から縦へと変化した。この間、文化が大きく変質したことがわかる。日本は遣唐使を派遣し、長安をモデル国づくりを進めた。今も残る都市建設がその象徴だが、漢字の発音も「漢音」に統一しようとした。


だが、すでに伝わっていた読み方「呉音」が浸透していたため、音が上書きされず、追加されることになった。こうして現代人は多数の音読みを覚えなくてはならなくなった。左右にしても、右が上だった時代の習慣が日中で残った。マイナスの「左遷」、プラスの「右腕」「右に出るものはいない」は中国の用語を日本も共有している。現代ではあまり使われないが、中国語の「右姓」は名家、「右職」は重責、「右文」は文治を重んじることを示す。「左道旁門」は露骨にも邪道の意味だ。

日本でなぜ雛段の左右が変わったのか。その由来は意外と知られていない。つい近年のことだ。1928年、昭和天皇が即位した際、両陛下で撮影した写真が天皇が右、皇后が左だった。


西洋式にならったことで、このために長い伝統が入れ替わった。天皇の権威を物語るエピソードである。牛肉の普及も、明治天皇が食べたというニュースが一役買っている。実にわかりやすい。そこで歴史的な写真を思い出した。敗戦直後、昭和天皇がマッカーサーの滞在する米大使館公邸に出向き、初対面で撮影した、教科書でも見せられたあの写真だ。当時、この一枚が世界に配信され、天皇の神格化は一気に瓦解した。


しっかりマッカーサーが右側に立っている。右は「right=正しい」のだ。これが敗戦というものだろう。

雛飾りを見つつ、長安からマッカーサーまで一気に歴史を潜り抜けた不思議な経験をした。この間、天皇は低い土塀を回しただけの住み慣れた京都御所から、深い堀で隔離された軍事要塞の江戸城に移された。孤独の森の中にあって、この堀を乗り越え、国民との距離を縮めるべく苦労をされてきた現在の両陛下を思うにつけ、もうそろそろ京都に戻り、左右の位置ももとにならっていいころなのではないか、などと考えてしまう。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年3月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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