貧乏人の馬鹿息子は大学に行かなくていい

井上 晃宏

細野豪志氏の主張「生活保護家庭の子どもに進学の機会を」に反論する。

細野氏は、「優秀な子には大学教育を与えてしかるべき」という主張をしながら、「優秀な子にも馬鹿な子にも大学教育を与えるべき」という政策に賛成する。

トリックである。「優秀な子が貧困のために大学に行けない」ケースは少数であり、「馬鹿な子が貧困のために大学に行けない」ケースが多数である。貧困層の大学進学問題を考える場合は、「貧乏人の馬鹿息子を大学に行かせるべきかどうか」という問題を考えた方がいい。

政府自民党も、民進党も、「全員に区別なく大学教育を与えるべき」というところでは一致している。「選抜」という発想がない。

安倍総理は施設方針演説で「どんなに貧しい家庭で育っても、夢を叶えることができる。そのためには、誰もが希望すれば、高校にも、専修学校にも、大学にも進学できる環境を整えなければなりません」と踏み込んだ。チャンスは来ている。ここは、何としても結果を出したい。(安倍総理大臣施政方針演説)

●大学や専門学校等に進学を希望する若者が、親の収入など家庭の状況によらず入学でき、奨学金による借金を背負わずに卒業できる環境をつくります。そのために、先進国では当たり前の、返済のいらない給付型奨学金を創設します。同時に、すべての奨学金の利子をなくすことを目指します。(民進党斎藤嘉隆参院議員)

小中高段階では、全員に教育を与えることは、概ね正しい。教育をしてみないと、その子の能力はわからない。しかし、大学教育は一部の限られた子だけが受ける意味がある。なぜなら、大半の子は、中高段階で授業についていけなくなっているからだ。当然、大学教育は無駄だ。

昔から、「金持ちの馬鹿息子が親の金で大学に入って遊び呆ける」現象が揶揄されてきたが、これは何の問題もない。私費の無駄遣いでしかないからだ。しかし、「貧乏人の馬鹿息子を公費で大学に行かせる」ことは大いに問題がある。社会的利益はなく、公費(税金)の無駄遣いとなるからだ。

浪費するほど政府財政は潤沢でない。「選択と集中」が今ほど必要なときはない。小中高の12年間を使った能力評価が間違っていて、凡才が大学に入ってから突然開花して、秀才になる可能性はほとんどない。

学力選抜せずに、貧困家庭出身者全員に給付型奨学金を与える、あるいは学費を無償化するという主張は、政治的には正しいが、政策的には間違っている。

選抜された学力優秀者のみに大学進学を援助すべきである。貧乏人の馬鹿息子は大学に行かなくていい。

井上晃宏(医師)