小池政治の本質はポピュリズムではなくマキャベリズム --- 宇山 卓栄

2017年03月09日 11:30

都庁サイトより(編集部)

豊洲移転問題で、有識者の多くは小池知事を厳しく批判する。彼らは「混迷の責任は小池知事にある」という。

「飲むわけでもない地下水に何が出ようとも、市場の運営に問題ない」

小池知事は速やかに豊洲移転を決定し、混乱を収束させるべきであるというのが批判者の主張である。豊洲のような行政課題を政治利用して、ワイドショー化すべきではない、ポピュリズム政治をやめるべきであるという。

中には、芥川龍之介がウラディーミル・レーニンを評した「誰よりも民衆を愛した君は誰よりも民衆を軽蔑した君だ」という言葉を引き合いにして、小池政治を「レーニン的愚民主義」と批判する論者もいる。

しかし、小池政治をポピュリズムと捉える見方では本質を見誤ってしまう。むしろ、小池政治の本質をマキャベリズムと捉えるべきである。

豊洲移転を早期に実現すべきと主張する批判者は豊洲は安全であるという科学的根拠を前提にしている。その通りだ。安全である。つまらない風評に引きずられるべきではない。しかし、小池知事はそもそも、この根拠を前提としていない。小池知事にとっての前提は科学や行政上の合理性ではなく、政治的合理性である。

古今東西、政治的な権力者というものは自分にとって必要なことだけをする。ただ、それだけだ。その為には民衆を容赦なく殺すこともある。

「築地の業者を生殺しするな」という批判があるが、小池知事のようなマキャベリストにとって、人を生殺しにすることくらい朝飯前だ。生殺しにしようが、ランニングコストが掛かろうが一切関係ない。より大きな政治目標を達成するために、多少の犠牲を厭わない。もし、小池知事がポピュリストならば、「生殺しにするな」発言に迎合し、今や言論の大勢を占める「科学的合理性」に従って、豊洲移転の処置をはじめるだろう。ポピュリストならば、今日の批判と懐疑の声に耐えられない。しかし、小池知事は平然としている。

小池知事の狙いはハッキリしている。これまでの都政がいかにデタラメであったかを人々に見せようというのだ。デタラメなことを、もう、みんな、充分、分かっていると思うかもしれないが小池知事にとっては、まだ足りない。マキャベリストとしての彼女はもっと、人々に、骨身に染みて、わからせるように仕向ける。徹底してわからせるために、生殺しもする、時間もカネも労力も使う、政治利用もする、世論がどう言おうとお構い無しだ。イヤというほどわからせてはじめて、人々は自分についてくる。

「科学的合理性」など、彼女にとって問題にはならない。彼女は自分の権力を強化することを命題としている。16世紀イギリスの血塗られた女王メアリ1世のように、容赦ない恐ろしい「女王」なのである。

当然のことであるが、権力に求心力がなければ、何もできない。そして、その権力によって、政治的な成果を達成することが政治の最大の目標である。小池知事がそれを達成できるかどうかはわからないが、達成しようとしていることは事実だ。その冷徹な姿勢はポピュリズム特有の迎合性とはベクトルを異にするものだ。

小池知事の2月22日の施政方針演説を傍聴して感じたが、あの演説の地味なこと。面白みのかけらもない。橋下徹氏や河村市長のようなパフォーマンスはなにもない。コマゴマとした政策を一個ずつ着実に積み上げていくことを表明し、普段は書類に囲まれ、黙々と実務をこなす、これが小池政治である。従って、小池女史というのは実は最もワイドショーには向かない面白くない政治家なのである。彼女がポピュリズム政治をしているという批判はだいぶん違う。

小池知事批判者は批判の立脚地点を変えるべきではないか。人道主義の観点に立つのが良いかもしれない。彼女のようなマキャベリストに「科学的合理性」やポピュリズム批判は通用しない。

因みに、石原元知事のような人が「市場の人たちのことを大切に考えて」などと人道主義者ぶるのはチャンチャラおかしいことである。

宇山 卓栄
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。著作家。個人投資家として新興国の株式・債券に投資し、「自分の目で見て歩く」をモットーに世界各国を旅する。近著に『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)などがある。

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