イスラム教とテロは区別して考えるべきだ

コーラン第17章第33節の邦訳は次のとおりです。

「神が殺害を禁じ[、尊いものとし]ている人の命を不当に奪ってはならない。誰でも不当に殺害される者には、まことに我々は、その相続者に[賠償、報復を]決めさせる。だがその人は、殺害や報復に対して限度を越えてはならない。なぜなら彼は[神の]加護を受けているからである」

この解釈として、「人間は誰でも、イスラム教徒であろうと不信心者であろうと生きる権利を有しており、神の許しがない限り誰にも、他人の命を奪う権利がなく、自分の命を奪う権利もないとされています」

つまり、神の許しをえた報復のみが許されるものの、決して限度を越えてはならず、自殺も禁止されているのです。大きな宗教の聖典で自殺を禁じているのは、実はイスラム教だけなのです。

キリスト教での「自殺の禁止」は聖書にはなく、カソリックの教えに端を発するものだそうです。

かくも寛大な聖典があるにも関わらず、イスラム過激派によるテロ行為が頻発しているのはどうしてでしょう?

日本の自称識者の中には、イスラム教がテロの原因だと公言しているとんでもない人もいますが、以上からわかるようにそのような指摘は明らかに誤りです。

真っ先に考えつく理由として、テロ指導者によるコーランの都合のいい解釈があると考えます。

テロ行為を「神の許した報復」とし、民間人を殺すことも「限度を越えていない」とし、自爆テロも「自殺ではなく報復行為」と解釈して行為者を洗脳しているのでしょう。法律の条文の解釈が学者によって多様性があるように、コーランという聖典もテロ指導者が都合のいいように解釈しているのではないでしょうか?

次に考えつく理由は、貧困や生活苦といった経済的事情です。

厳しい現実世界から逃避したくなるのは全ての人間に共通する思いです。日本人の自殺はその典型ですが、場合によっては「大量殺戮」という他者を巻き込む凶悪犯罪のきっかけにもなります。

厳しい経済状況に置かれた人々が(とりわけイラク戦争で米軍に家族や生活を奪われた人々が)、「自殺ではない。神の許しを得た報復だ。成し遂げれば神の元に召されて幸福になる」と説かれれば、理屈抜きで信じたくなると想像できます。

このようなテロ行為を防ぐ最善の方法は、庶民の経済状態を向上させて「生きる力と喜び」を与えるとともに、悪しき解釈をする指導者による洗脳を断ち切ることでしょう。

一般庶民を苦しめる軍事行動は、より大きな報復テロとなって返ってきます。

とはいえ、「言うは易く行うは難し」です。庶民に対する生活復興援助には様々な障害があるでしょうし、指導者だけをピンポイントで攻撃することは極めて困難だからです。ベトナム戦争で米国が苦しんだように、一般人の中にテロリストが紛れ込んでいるのですから。

私たち一般人がまずやるべきことは、善良なイスラム教徒をきちんと理解することです。イスラム教の聖典コーランはとても優しい教義です。多くの善良なイスラム教徒は、この教義を忠実に守っているのですから。


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年5月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。