「微笑」がスキャンダルだった時代

オーストリア日刊紙プレッセ日曜版(6月4日)でギュンター・ハラー記者が「微笑の発見」という見出しで英国の歴史家、コリン・ジョーンズ氏の著書「18世紀のパリでの微笑革命」(The Smile Revolution in 18th Century Paris)を紹介しながら、笑いの歴史をまとめている。以下、同記事を参考にしながら、笑いの歴史を考えてみた。

▲娘を抱える画家ルブランの自画像(ルブランはわずかに口を開き、歯を見せている)

▲娘を抱える画家ルブランの自画像(ルブランはわずかに口を開き、歯を見せている)

白い歯を見せて微笑む女性の登場は革命的だったという。なぜならば女性は人前で歯を見せて笑わないと久しく信じられてきたからだ。口を開き、歯を見せて笑顔を振るまえば、スキャンダルと受け取られていたほどだ。

「君はいつの時代の話をしているのか」と質問されるだろう。フランスでルネッサンス、啓蒙思想が登場する前までは、絵画でも女性は口を閉じていた。生物学者にとって、笑いは生来的なものだが、「笑い」は久しく蔑視され、無視されてきた。微笑みはその真価を無視される“冬の時代”を経験してきたというのだ。

「それではあのレオナルト・ダ・ヴィンチの名画モナ・リザ(制作年1503~19年頃)はどうかね。謎めいたその笑顔が世界の男性諸君の心を捉えている」と指摘されるかもしれない。確かに、モナリザは微笑んでいるように見えるが、彼女は決して口を開いていない。口は閉ざされている。ひょっとしたら、モナリザの微笑みは、口を開いて笑うことができなかったゆえに、口を閉じて我慢している表情だったのかもしれない。

啓蒙思想が広がる前までは男は口を閉じ、威厳を見せるべきだと考えられてきた。にやにや笑っている男は当時いなかった。当時は初老を迎える頃には前歯全て失った紳士たちが少なくなかった。口を開いて笑えば、威厳を損なうことは確かだ。女性の場合でも歯のケアでは男性と変わらなかった。口を開いて笑えば、黄色くなったり、薄黒い歯が見える。だから絶対に口を開けて笑わない。

カトリック教会の修道会、イエズス会の創立者の一人、イグナチオ・デ・ロヨラ(1491~1556年)は「聖書を読めば分かるように、イエスは決して笑わなかった。ただ泣いただけだ」と述べている。

コリン・ジョーンズ氏は著書『18世紀のパリでの微笑革命』の中で、「1787年の秋、ルーブルで絵画展示会が開かれた。そこに有名な女性画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755~1842年)の肖像画が展示されていた。彼女は娘を腕に抱きながら笑顔を見せ、白い歯をちらっと見せていた。当初はスキャンダラスな絵だと批判されたが、多くの人々は口を開き、笑顔を見せる画家の肖像画を気に入ってしまった」という。

これまで口を開いて笑うのは貧しい人間、劣った人間だけに許されていたと考えられてきた。啓蒙思想が広がり、偽善な教会文化がす廃れていくと、微笑は知性の発露であり、内的な美の現れと受け取られるようになっていくわけだ。

微笑が市民権を得る上で歯科技術の向上と歯磨きの習慣が果たした役割は大きい。白い歯並びが女性の美を一層引き立たせると受け取られていく。また、1900年以降、カメラ技術の向上で笑顔は再評価されていった。映画のスクリーンには笑顔を振りまく女優たちで溢れている。

21世紀の若い女性たちは口を開き、白い歯を見せながら笑う。笑いが溢れる時代が到来した。セルフィの登場で笑いはハイパー・インフレ傾向を帯び、内的な魂の発露、といった微笑は確実に少なくなってきた。

ところで、幼児と母親のコミュニケーションが乏しいと、幼児が笑顔を見せるのが遅れるという研究結果が出ている。幼児を背中に載せておんぶする母親は幼児の顔が見えないから、前側に幼児をおんぶする母親より幼児とのコミュニケーションが少なくなる。その結果、幼児が笑いだす時期が遅れるというのだ。幼児は通常、生後3週間で最初の笑顔を見せるという。

ちなみに、ハラー記者は最後に、「20世紀の全体主義的芸術では若き革命家たちは例外なく溢れんばかりの笑顔の姿で描かれてきた。そのグロテストな笑顔は21世紀に入っても北朝鮮では続けられている」と述べている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年6月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。