日本の病巣

今国会中テレビや新聞を見ていると、安倍政権は「森友学園問題」に始まり「加計学園問題」に至るまで毎日のように突っ込まれて大変なようですが、両問題に対する追及も何ら核心を突くようなものでなく、野党及び報道各社は「よくもまぁこんな仕様もない突っ込みを何時までも続けているなぁ…」というふうに小生は見ています。そして此の詰まらぬ劇場に登壇してくる主人公あるいは役者を務めるのは、文部科学省の前事務次官・前川喜平氏を筆頭に実に詰まらぬ面々だと思います。

先日の報道で此の前川という人は座右の銘が何かと聞かれ、「面従腹背:めんじゅうふくはい…表面では服従するように見せかけて、内心では反抗すること」と言い放っていました。YouTubeでも『前川の乱:座右の銘は「面従腹背」』が閲覧できますが、こういう下らぬ男が文部科学事務次官として日本教育の根幹部分を司っていたわけで、私は「これなら日本の教育は良くならなかったはずだ」と痛感した次第です。

昨今「いじめとの関連が疑われる生徒の自殺について、教育委員会や教委が設けた第三者機関の調査に遺族が不信を抱き、再調査やメンバー交代などを求める」ケースが相次いでいます。例えば茨城県「取手市中3いじめ自殺」(15年11月)を巡り同市教委は、16年3月より「いじめの事実は認められない」としてきました。ところが先月末、文科省から指導を受けて直ぐ様に「いじめがあったことは認めざるを得ない」と、その判断を一変させたのです。

また「いじめはなかったという当初の判断で作られた第三者委員会」の人選自体にも勿論重大な過ちがあったと言えましょうが、同時に此の明らかないじめをいじめと認められなかった当委員会のメンバーに対して憤りを禁じ得ません。これら取手市教育委員会(教育長・矢作進氏)を中心とした御粗末のオンパレードにつき、「なるほど。面従腹背を座右の銘とする前川氏が文科省の事務次官をやってたら、そりゃあそうなるわなぁ」と妙に納得した位です。

例えば『書経』の「皋陶謨(こうようぼ)」にも、「予(よ)汝の弼(たすけ)に違(たが)へば、汝面従して、退きて後言有ること無かれ。つつしめよ四鄰(しりん)」とあります。之は「伝説上の五帝、最後の聖王舜(しゅん)が禹(う:次の王朝、夏の初代)を戒めていった言葉」で、「面従後言:めんじゅうこうげん…面と向かっては、こびへつらって従い、裏に回っては悪口を言うこと」では駄目だと教え授けています。

このように為政者最大の基本道徳として様々な中国古典で、「面従腹背するような人間に絶対になってはならない」と言われているにも拘らず、それが座右の銘である人が「文教行政のトップとして、子供たちに学問の意義や人の道を教える立場だった」のですから開いた口が塞がりません。菅義偉官房長官も2週間前「さすがに強い違和感を覚えた」と述べておられた通り、「女性の貧困問題の調査のために、いわゆる出会い系バーに出入りし、かつ女性に小遣いを渡してい」たなどは論外ですが、それ以前の問題としてそうした事柄を滔々と述べるような人を「教育行政の最高の責任者」に据えていたこと自体、政府与党も深く反省すべきだと思います。

先月28日、首相在任期間で戦後歴代3位となった安倍晋三首相を私は非常に高く評価しておりますが、唯一つ問題だと捉えているのは一国の将来の舵取りを担う極めて大事な大臣人事の在り方です(参考:2014年10月23日北尾吉孝日記『小渕・松島両氏辞任に思う』)。脳梗塞を3度患いその後遺症がある金田勝年法務大臣は言うに及ばず、米国からも全くゼロ評価の稲田朋美防衛大臣等と、各所でナンセンスな人選が見受けられます。彼らがため色々な問題が生じたり長引いたり擦った揉んだすることになるのは、総理ご自身の責任であるわけですから今後尚一層気を付けて行かなければならないでしょう。

何れにせよ冒頭挙げた「森友学園問題」も「加計学園問題」も、国会での貴重な審議時間を浪費し続ける程大した話ではありません。しかし野党は両問題につき執拗に問題視し続けて、国会議員として取り上げるべきより大きな問題に対する審議を等閑に付してきたのです。当ブログで3ヶ月前にも指摘した通り国会という大事な場では、これから憲法・防衛・外交をどうして行くのか、これからの経済・財政・税制をどうするのか等々、日本の将来を左右する沢山の重要事項で以て本来もっと多くの時間を費やさねばならないのです。未だ「二重国籍問題」を抱える野党第一党の民進党代表の蓮舫氏がその全てを告白し禊を済ませぬ限り、その「うさん臭さ」は拭い切れず安倍政権を批判すればする程野党がどれだけ御粗末かを表明しているに過ぎません。

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