100年時代の人生設計、できるかな?

中村 伊知哉

リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著「LIFE SHIFT」。ロンドン・ビジネススクールの教授による平均寿命100歳時代を乗り切る指南書。邦題「100年時代の人生戦略」。ぼくは資産管理やら資金計画やら家族計画やらは不得手につき、ITやIoTやAIとの関わりに絞って読み取ることにしました。

今後、中小企業の連携エコシステムでの労働、シェアリングエコノミー、仕事と余暇のブレンド、都市への集中、スマートシティの需要増が進むといいます。はい、それらはIT化やスマート化で引き起こされること。医療などの進化で寿命が100歳に延びることと特段の関わりはありますまい。たまたま時期が一緒なのです。

でも時期が重なると、時間の使い方が問題となります。1930年、ケインズは経済が豊かになれば余暇時間が増え、それをどう使うかが人類の課題になると指摘しました。その後、余暇は増えましたが、人は「時間貧乏」を感じています。高賃金の人ほど長く働く傾向があります。

本書に2点、同意します。まず、IoTやAIは新雇用を生むものであり、ロボットが生産を担うことを歓迎するという論旨。そう思います。

ただそこで、人が優位性を持つ仕事をすることを本書は示唆します。ぼくは人が優位性を持つのは「暇つぶし」だと考えます。ロボットは暇つぶしは苦手でしょう。暇なら電源切っとけ、いう話で。ケインズが課題だと考えたことこそが優位性を持つ。

そんな素敵な時代の問題は、富の集中・偏在でしょう。生産よりも分配が問題になると考えます。ベーシックインカムは重要なテーマたり得ます。

もう一つの同意は、「資産」が経済的なものより友人関係や知識が重要になるとする点。これも100歳時代というより、ITやソーシャルメディアの影響です。特に人的つながり=ソーシャルで得られるものが知識=ITで得られるものより力を発揮すると考えます。

知識=スキル・能力は、資産=経済価値という目的を得るための手段です。それを得るための手段は教育からITへと変わりつつあります。一方、今後は、友人関係=信用・評価を軸に、経済価値をシェアして生きていく方向に進むでしょう。

ただ、本書は、人脈や人間関係や評判を「生産要素」と見ており、知識と同様の「手段」ととらえています。ぼくは、人間関係=ソーシャルは手段ではなく、目的となると考えます。

実は知識を軸とした資産を目的に据えるよりも、人間関係や評判を人生の目的に据えるというのは、むかしみんなそうしていたことじゃないかと思います。技術によってつながりが強まることと、暇になること、寿命が伸びることで、近代を脱してむかしに戻るということでしょうか。

本書によれば、1880年代のアメリカでは、80歳の人の半分が仕事をしていたんですって。100歳時代にもそうなると思います。これまたむかしに戻るということでしょうか。

今後は人生の一貫性や経済の成長というものが予見できなくなる、とも説きます。これも別に100歳時代とは関係ないんですが、これからの人は不安定な状況がより長い人生で続くことを覚悟しろということです。大人が説かなくても、若い世代は、柔軟でテキトーに生きることに長けているように見えますがね。

成長して安定する予見可能性なんてのは、ビジネススクール教授職のような(そしてぼくのような)限られた先進国の、一時期の世代にしか適用できなかったもんなんじゃないですか。ぼくが生まれた55年前の日本は結構安定した成長が予見できましたが、そのまた55年前の世代なんて日露戦争直後生まれで、震災と恐慌と事変と戦争と敗戦と復興の人生ですぜ。

変革に対応するには自己意識が重要で、それを支えるのは教育であるとして、オンライン教育MOOCsの意義を本書は説きます。これにも同意します。ただここで大切なのは、教育という提供側の行為ではなく、学習という利用側の意欲です。学習意欲を支える環境を整備しましょう。

「既存の教育機関はMOOCsとの競争に負けないための対応に追われる」という指摘は、著者の危機感の現れです。正しい危機感であると同時に、どこかMOOCsが勝利する状況を期待しているようにも見えます。ぼくはMOOCsをはじめとするIT教育が根こそぎ学習環境を覆すことを期待しています。

日本版の序文に、日本がいち早く長寿化・高齢社会を達成し、先駆的モデルとなることを指摘しています。期待に応えたいものです。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2017年6月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。