リヴィング・スルー・ザ・キューバ

2017年06月29日 11:30
街のどこにいても、ボンゴ、コンガ、トランペット、サックスが聞こえてくる。ヴェンダース「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」でキューバが「発見」されて20年になる。が、足を運んだのは初めてだ。ライ・クーダーのように音楽の邪魔をしたりせず、楽しむ。
 
 XTCの最高傑作アルバム、Black Seaをウォークマンに入れて、ロンドンで“Towers of London”を聴いたのが81年。もっとよく聴いた“Living through another Cuba”こそ現地で聴かなきゃ、と思ってから36年経っていた。
 
 歌とギターはすぐ「ぴんから兄弟」だと判別できるが、ギター、フルート、ベース、マラカス、ボンゴの編成はラブユー東京「黒沢明とロス・プリモス」、森とんかつ泉にんにくカーこんにゃく「ブルー・コメッツ」、どちらが近いか、などとかつての奴隷・家畜市場で考える。
 
 ハバナにも宮川左近ショウがいる。
 男同士でいたって色気はないけれど。しっかりやりましょ時間まで。
 
 広場で突然はじまった女子ルンバに、手拍子したいと思えど、カウベルは3+3+2の8拍子で、隣のコンガは3拍子、だから24拍で1節か、その横のコンガはひたすら三連符を打ち、乗せるヴォーカルは何拍子かもわからない。入り込めない土着がある。
 
 のたうつドラムに、ためにためるトランペット。キューバのド演歌。
 打楽器5人にベース1人(リーダー)。ホーン3人にピアノ1人。歌5人にダンス2人。計17名、システムとデザインと営業。いい構成の企業である。
 街はデング熱の消毒をしているから、あまり出歩くなと通りすがりのオヤジに叱られた。だけど、テレビじゃ革命広場で兵士たちがカンテラ右手に行進しているし、黄と黒のボーダーの服でミツバチに扮した子どもたちがキューバ国旗を振りながら続いている。みんなカストロの遺影に向かって出歩いているよ。
 
 内務省の壁はチェ・ゲバラの肖像で、隣の情報通信省はカミーロ・シエンフエゴス。ここはまだ革命の中に生きている。だが、カストロが死に、アメリカとの国交回復が進むと、たちどころに変化してしまうのではないか。
 
 戦後日本が一夜で親米に反転したように。フェリーニのローマで、現代の空気に触れた古代絵画が消え失せたように。少女が悪女にメタモルフォーゼするように。
 だからその前に、ハバナを網膜に焼いておきたい。
 
 骨の髄までシボレーで。轟音と黒煙はヒドいがサスペンションは悪くない。キャデラックも、ビュイックも、フォードも。1950年代の丸いアメ車や東欧の四角いクルマは、いずれ入れ替わってしまうんだろう。
 
 それはよそ者の身勝手なノスタルジー。彼らにとってはレトロではなく、大切にしている実用なのだから。鎖国の江戸文化が美しいのは、西欧や明治の視線に過ぎまい。
 
 ほぼ何も売ってないマーケット、配給制のパン。開発が進む新旧市街から一つ路地を入ればすぐ廃墟が続き、そこに住まう人たちにとって、ぼくのノスタルジーや網膜など間違いでしかなく、だけど老人も子どもも、オラ、オラとにこやかに声をかけてくる、その屈託のなさに戸惑う。
 
 かつて西欧人はここをジパングと読んだ。ここにとっても日本にとっても身勝手な命名だ。
 スペイン、イギリス、アメリカに支配されてからの革命をなし得た彼らは、社会主義同志が脱落する中もしたたかに生きざまを貫いている。
 
 かくいう日本だって手練の社会主義であり、相対的に「まし」だと思っているだけで、ここんとこ格差社会を修正しにかかっているアメリカだってイギリスだって、似たようなものではないか。
(むかし支倉常長さんが来たらしい)
 水を買うのに一苦労する。カネを引き出すにも長蛇の列。
 だけど郵便局には誰もいない。局員も。
 まかせとけ、ぼくが店番をしてあげる。かつて郵便局で社会主義のかたがたと働いていたからねぼくは。
 
 キューバはこれからどうありたいのだろう。
 甘くないモヒート、ぼくがいつも赤坂の居酒屋で飲んでる黒糖焼酎の炭酸割りと同じだが、それを飲りながらヘミングウェイが「老人と海」を書いた穏やかな眺めは変わらない。
 
 「カードはあと10年したら使えるよ」とウィンクしながら給仕が言う。そこまで遠くはあるまい。だが彼にとってそれはジョークではなく、日々の変化とはそれほどゆったりとしたものだった。
 革命記念式典を流す国営テレビの隣には、TVeRaiCNNBBCCCTVでさえもお構いなしにチャンネルを据える。25年前に東側がガラガラと崩れたことも知っているはずだ。
 
 しかしアメ車には飽きるわ。50年代の英仏伊モデルが走り回る特区、間を取って日本にできないか。軽井沢でどうです?井口典夫先生。
 さてもネットには難儀する。観光客が難民と化している。現地の通信会社はローミング対象でなく、遅すぎる上にパケ死必至なので、みな公園のwifiを探し求める。
 
 1時間2クック(200円)のカードを買って、書かれたIDとパスを入力すれば使える、とガイドにはある。
 実態は異なる。まず、カードが買えない。売り場の列が進まない。売り切れている。路上のマリファナ売りっぽい兄ちゃんから、4クックで買う。あるだけくれい。
 
 wifiスポットはレアアイテムが出現するポケモンGoスポットのように人だかりがしている。だが、つながったりつながらなかったりするので、祈る。人が少ない朝や夜を狙うと、電波が切れていたりする。祈る。つながったら切れぬことを祈りつつ用事を済ませる。
 
 道端に風呂敷をしいてあぐらでPCをいじっていると、場を仕切る権限がなさそうな兄ちゃんに「立て」と命じられ、反論の仕方がわからず従う。駅のホームに立ってMac Book Airを片手で操作する普段の訓練がハバナの路上で役立つ。
 普段、起き抜けに、LINE、メール、twitterfacebook、それからNewspicksSmartnewsnikkeiなどをひとしきりチェックする1時間ぐらいの作業を、ここでは5分ぐらいで済まさなければいけない。考えず処理していく。日頃の仕事がいかに非効率なのかを痛感する。
 
 自分の退化を2点感じた。まずかつては「つないでいた」。2000年ごろには、どこでもどうにかこうにかつないでしのいでいた。ダイヤルアップにしろ有線LANにしろ、物理的につなぎこんだ。
 
 バーモント州の山奥では屋外から電話線を部屋まで引っ張って強引につないだ。東ベルリンでは壁の異様な形の電話ソケットをいじって無理やりつないだ。ケーブルやコネクタを何種類も持ち歩いていた。各地のプロバイダの番号をたくさんメモしていた。モロッコでPCのLANが飛んだ時はカードを調達してしのいだ。今や手も足も出ない。
 もう一つは、「なくてすます」ということ。「いつでも」つながることがうれしかった頃は、まだネットがなくてもすます余裕があった。「いつも」つながっている時代になったとたん、つながらない余裕がなくなった。
 
 それはtwitterLINEで常時連絡を取るということだけではない。地図も天気もクラウドの世話になっていて、自分がどこにいるかが切れる不安は案外大きい。スタンドアロンで読み物書き物をすればいいと思えど、ブツは非ローカルのクラウドにあり、調べ物や参照もできない。これは退化である。
 「ショーシャンクの空に」のじいさんがやせた風の二人が寄ってきて、そっくりだ!コリアの!ダンスの!と喜ぶ。Psyに似ているというのだな。西側のテレビで知ったのだな。それでこっちが喜ぶとお思いか。よかろうありがたく受け取っておく。
 
 ネットが普及すれば、ピコ太郎も知れ渡ることになろう。早くそうなってもらいたい。そっくりだ!ヤパンの!PPAPの! と喜ばれたところで、こっちが喜ぶとは限らぬが。

編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2017年6月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。

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