【映画評】ありがとう、トニ・エルドマン

ドイツに住む、悪ふざけが大好きな父ヴィンフリートは、ルーマニア・ブカレストのコンサルタント会社で働く娘イネスが仕事ばかりしていることが心配でしかたない。イネスを驚かそうと、連絡もせず彼女が働く会社を訪ねるが、重要なプロジェクトを前にしたイネスは父親の相手もろくにできないまま、滞在期間が過ぎていった。心配そうにドイツに帰ったヴィンフリートだったが、突如、ダサいスーツを着て、かつらに出っ歯の入れ歯をつけた姿で「私はトニ・エルドマンです」と、別人のふりをして現れる。それからというもの“トニ・エルドマン”はイネスの前に度々現れることに。イネスはイライラを募らせるが、父娘は衝突すればするほど、互いの距離を縮めていった…。

キャリア志向の娘と、そんな娘を心配して一風変わった方法で励ます父親との触れ合いを描く人間ドラマ「ありがとう、トニ・エルドマン」。仕事人間の娘が父親の愛情と荒療治で幸せを取り戻す…という大枠から、心温まる感動作を連想するが(いや、それ自体は間違ってはいないが…)、この作品はそう単純ではない。父ヴィンフリートが、連絡もせず娘のもとを訪ねたのは、たまに家に戻っても話もしない娘が、人生の喜びや大切なものを見失っていると感じたからだ。ちっとも幸せそうじゃない娘を心配するのは親として当然なのだが、その方法がすこぶる変わっている。というか、かなりウザい。もっといえばあまりに空回りしすぎてあっけにとられる。だがイネスを含めた周囲は、どういうわけかこの変装バレバレのトニ・エルドマンのペースに巻き込まれ、いつのまにか心の奥に隠していた本音をさらしてしまうのだから不思議である。上映時間はなんと162分。この長尺は、父のお寒いギャグや度が過ぎた悪ふざけにキレ気味の娘が、少しずつ少しずつ自分の殻を破るために必要な時間なのだ。時に熱唱し、時に衣服を脱ぎすて、最後には自分の人生にしっかりと向き合うイネス。大笑いするコメディでもなければ、大泣きする感動作でもないし、ヒロインの人生の選択が完璧な幸せかというとそうとも言えない。複雑で曖昧、だからこそリアルな、奇妙奇天烈なこの怪作は、オフビートな人生讃歌の物語と言えよう。しかもこの映画、引退していたジャック・ニコルソンを突き動かして、ハリウッド版が作られるという。ハリウッド・リメイクで、どうアレンジするか、恐いもの見たさ半分で期待している。
【65点】
(原題「TONI ERDMAN」)
(独・オーストリア/マーレン・アデ監督/ペーター・シモニシェック、ザンドラ・ヒュラー、ミヒャエル・ヴィッテンボルン、他)
(奇天烈度:★★★★☆)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2017年6月28日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像は公式Facebookページから)。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。