二重特異性抗体を患者体内で作り出すがん治療法

半年ほど前に、二重特異性抗体の白血病治療への応用を紹介した。今回は、二重特異性抗体そのものを注射するのではなく、二重特異性抗体を作り出すmRNAを静脈注射して、肝臓に取り込まれたmRNAが二重特異性抗体を作り出す形にしても治療効果があった話だ。7月号のNature Medicine誌に「Elimination of large tumors in mice by mRNA-encoded bispecific antibodies」(mRNA を注射して作り出した二重特異性的抗体がマウスの大きな腫瘍を消し去った)というタイトルの論文が掲載されていた。

抗体を医薬品として利用する場合の最大の課題は、必要な抗体を産生するための費用が高くつくことだ。免疫チェックポイント抗体医薬品の薬価があまりにも高額で社会問題化したことは記憶に新しいが、それ以外の抗体医薬品も高額であり、医療費を押し上げる大きな要因の一つとなっている。その理由は、抗体を産生する細胞を培養するための費用と創り出された抗体を精製するための費用である。

また、二重特異性抗体の課題として、

(1)長期間保存が難しいこと、

(2)抗体が団子状態に結合して機能しなくなること、

(3)不純物の混入を防ぐことが難しいこと

が論文中にあげられていた。また、血液内での半減期(半分の量に減ってしまうまでの時間)が2時間であるので、連続的にポンプで血管内に注入する必要があることが、患者さんの行動を制約している。

この観点で、今回の論文は臨床応用する場合の課題はあるものの、その結果の持つ意味は大きい。抗体のようなタンパク質を作り出して精製することに比して、DNAを大腸菌などで人工的に創り出し、精製することは簡単だ。

今回の論文では、まず、DNAの中に二重特異性抗体を遺伝子操作で組み込み、DNAを取り出した後、mRNAを試験管内で合成し、それを精製して注射薬として利用した。DNAを作る際にも、効率よくタンパク質(二重特異性抗体)が合成できるように遺伝子操作し、さらに、mRNAを作る際にも、分解されにくいように特殊な分子加工をしたのだ。

二重特異性抗体とは、抗原認識部位を2ヶ所持っている抗体のことで、一方はT細胞に特異性的なCD3という分子を、もう一方はがん特異性的なクローディン6という分子(個人的には、この分子ががん細胞特異性的と言えるのかどうかは少し疑問だが)に結合することができる。抗体とこれらの二つの分子が結合すると、Tリンパ球ががん細胞に隣接する状況を生み出すため、がん細胞の周辺にTリンパ球が高密度に存在することになり、これらのリンパ球、あるいは、リンパ球から分泌される分子が、がんを攻撃できるような細胞を引き寄せることになり、免疫細胞総がかりで、がんを叩く可能性が生まれる。

マウスを利用したモデルでも、一般のマウスモデルよりも大きな腫瘍が消え去るデータを示していた。通常に作られるmRNAではこのような効果は認められず、特殊に加工されたmRNAを利用することが重要だと述べられていた。利用されていたマウスは、人の免疫細胞を移植することのできるもので、人のリンパ球が人のがん細胞を攻撃できるようにデザインされていた。いずれにせよ、二重特異性抗体医薬品として治療に利用するよりも、この論文のような週1回の静脈注射であれば、患者さんの負担は軽減できるし、より安価な治療法となるであろう(論文では費用について触れられていないが、使われている量を考えると、より安価であると推測する。自信はないが?)。

ただし、前述したように、本当にクローディン6ががん細胞特異性的タンパクかどうかは、私が調べた限りでは疑問だ。動物モデルの場合、人の抗体が、クローディン6に限らず、マウスの類似タンパクと反応しないため、マウスでは副作用が起こらない場合が多い。しかし、人では正常組織に存在していて、患者さんに投与した際に、思わぬ副作用に出くわす危険性がある。この点については常に留意が必要である。もちろん、分子標的治療薬であっても、同じことが起こりうる可能性はある。

いずれにせよ、がんを克服するためのさまざまな動きが加速されているように感ずる。米国では、上記のようなリスクを承知で、次の臨床試験へと進む可能性が高い。机上のリスクを憂慮しても、ここから先は患者さんで検証するしかないのだ。それができるかどうかが日米の大きな差だが、これは国民の文化的な価値観に依存するものだ。国会の議論を聞いていて、いつまでもこんなことで時間と国会議員の歳費を無駄にしていいのかと思う。日本には政局はあっても、国の将来に向けた政治はない。そんな気がしてならない。

PS: 昨日、NCIの小児版のMATCH試験(がんの種類に関わらず、遺伝子異常を元に、分子標的治療薬を投与する試験)が始まるとのアナウンスがあった。日本の状況にもどかしさが募るばかりだ。


編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2017年7月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。