吉田茂が密約でつくった戦後日本の「裏の国体」

池田 信夫

自民党の高村副総裁が「来年の通常国会で憲法改正を発議する」というスケジュールを打ち出した。あと半年でやるとなると、安倍改正案に近いものになろう。ベストとはいいがたいが、国際情勢が緊迫しているときに国会で憲法論議ばかりやる悪弊を除くためには、改正したほうがいいと思う。

こういう奇妙な状況をつくった最大の責任者は、吉田茂である。1950年に朝鮮戦争が起こると、GHQは日本政府に7万5000人の「警察予備隊」の創設を命じ、51年1月にダレス国務長官が来日して吉田首相に「再軍備を条件に講和条約を結ぶ」交渉を行った。吉田は講和条約を結んで在日米軍基地を置くことは歓迎したが、再軍備は拒否した。

その理由は「経済力の不足」と「軍国主義への危惧」だったが、彼がもっとも恐れていたのは、再軍備によって朝鮮戦争に巻き込まれることだった。このため交渉は難航したが、なぜか2月7日に急転直下、妥結する。

この経緯は外交機密とされていたが、2001年に機密指定が解除されて、日米交渉の妥結した原因がわかった。吉田はダレスに「海陸をふくめて、新に五万の保安隊(仮称)を設ける」ことを約束し、これは警察予備隊とは別の組織として「国家治安省の防衛部門に所属させる民主的軍隊」とすることを約束したのだ(写真)。

ダレスは(自治体警察の指揮下にある)警察予備隊には、対米協議のカウンターパートになる参謀本部のような中枢機能がないと批判したが、この2月3日の密約では「防衛企画本部というが如き名称の機関を、国家治安省の防衛部に付置する」と書かれている。

これでダレスは要求を収め、講和条約にも安保条約にも再軍備という言葉は入らなかった。警察予備隊は「保安隊」と改称され、1954年に自衛隊となって防衛庁の指揮下に置かれた。「防衛企画本部」は、現在の統合参謀本部にあたる。自衛隊を「民主的軍隊」とするには憲法改正が必要だが、吉田はそれは約束していない。

つまり吉田はアメリカに対しては再軍備を約束する一方、国内向けには憲法を改正しないという二枚舌で、講和を急いだわけだ。これは隣の朝鮮半島の戦火がいつ日本に拡大するかわからない状況では、それなりに正しい判断だったともいえようが、ここで再軍備を密約にしたことが、今日に至る政治的混乱の原因になった。

核持ち込みの密約は、このとき吉田が(期せずして)つくった「裏の国体」から派生したものだ。そこでは日米同盟と再軍備は一体だが、「表の国体」としての一国平和主義との矛盾が事あるごとに蒸し返される。それは晩年の吉田も後悔していた。

この問題を解決する方法は一つしかない:憲法を改正して自衛隊を合法化し、表と裏の矛盾をなくすことだ。第9条2項を削除することが論理的にはすっきりするが、第3項で「加憲」することも次善の策としてはありうる。来年の国会でやるとすれば、麻生太郎氏が祖父の負の遺産を清算するのもいいかもしれない。