ロッキング・オンの時代

橘川幸夫さん著「ロッキング・オンの時代」、読みました。

KMD1期生の浅田博士にご紹介いただき、CGM発展のための運動をご一緒しようとお話した際、ご当人からいただいた書。
72年創刊。むさぼり読んだクチです。渋谷陽一さんらと創刊に当たったレジェンドが振り返るあの時代。強烈に面白い。

編集部は個性を携えた異形の士たちの危うい同居であった。ぼくの一世代上の、学生運動には少し遅れた、だけどギラついたエネルギーが残る70年代前半。その対象としての、みんなが参加を許された表現としての、煮えたぎるロック。

ロッキング・オンは、その時代、そのジャンルに、行き場のなかった連中、読者=参加者が、手に余る熱を放り込むコミュニティ、今でいうCGMでした。ぼくは大学に入るのが79年なので、70年代前半は子どもでしたが、当時の匂いは共有しています。

橘川さんはジャニス、ジミヘン、GFR、ボウイ、ブライアン・フェリーと来たのだが、その後登場したパンクは「音楽の内部の出来事ではなくて、これまでのロックというフレームを超えようとするものとしての衝撃」と記している。同意します。

橘川さんは1981年にロッキング・オンを辞めたとあります。それは恐らくパンクとも直接の関わりがあったのでしょう。ぼくは煮詰まったロックを転覆する運動としてのパンクから本格的に音楽にのめり込み、それは以後ぼくの活動の基軸をなしますが、橘川さんもその時点で転換されたのではと。

ただ、橘川さんは、「パンクムーブメントのように、一人ひとりが日常の中で言いたいことを表現する参加型メディアを目指した」ともあります。ぼくはパンクからデジタルへと領分を変えましたが、追い求めている世界はずっと同じ、民主化だと思いました。

石子順造、つげ義春、真崎守、竹宮恵子、岡崎京子・・マンガ分野の登場人物がぼくには刺さる名前ばかり。ロック趣味とマンガ趣味が地続きなんですね、それはぼくのような後進にとっても同じです。

テレビマンユニオン村木良彦さんが「兄貴分」として登場しました。ぼくも20代のころ、村木さんの塾に官僚としてただ一人参加していて、いつも大いに叱られていました。橘川さんとぼくは棲息する場は全く違いましたが、同じようなところに出入りしていたんですね。

お目にかかった際、橘川さんは「未来学」の再興に言及されました。ぼくは今こそ未来学が必要だと考えています。子どもの世代が未来を展望していない。それは大人の責任。新・未来学をともに追求してみたいと思いました。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2017年9月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。