立憲民主党は恥知らずな“偽リベラル”の巣窟

2017年10月03日 10:00

立憲民進党公式ツイッターより:編集部

民進党で希望の党に入れてもらえなかった人たちが枝野氏を中心に集まって、立憲民主党を結成するようだ。希望の党の理念に反対してという人もいないわけではないが、野田佳彦氏のように股くぐりをしてまで入りたくないといった人は立憲民主党には入らず、何をしてでも入りたいといって、入れてもらえなかった人が主力だから哀れなものだ。

彼らは、民進党リベラル派などといっているが、世界中で彼らの多くのような極左で、中国や北朝鮮に擦り寄るような人たちをリベラルと呼ぶ国はない。近ごろの日本では、共産党までふくめた左翼連合をリベラル結集とかいっているようですが、呆れる。

そこで、少しリベラルという言葉のおさらいをしておきたいと思う。

かつては、リベラルというと、自民党のうち中道寄りの人のことを指すことが普通だった。ところが、世の中の保守化のなかで、保守派から攻撃されるのを嫌って、谷垣禎一氏が「自分はリベラルでなく保守」といったあたりから、自民党ではリベラルを自称する人が少なくなってきた。

一方、民進党では、旧社会党勢力がリベラルを名乗るなどして、リベラルと言えば民進党左派というような使い方になってきた。それには、社会主義を標榜していた社民党を出て民主党に移った以上、社会主義者を名乗りにくくなって、隠れ左翼がリベラルを称するようになったという事情があった。

もともと、リベラルは、英国政治で自由党(現自民党)の思想を指し、保守主義と労働党の社会主義と三大勢力を成している。アメリカでは、人権、環境、福祉など公正や正義を重視する主張のことで、民主党の左半分のことと思えばいいだろう。

一方、フランスなど大陸諸国では、左派と右派という区別をして誰も保守派を名乗らないし、リベラルという政治勢力は伝統的にはない。しいていえば、中道派のなかで経済について自由経済重視に好意的な人たちを指す。

日本では、伝統的には保守とか右派はネガティブなイメージで自民党の主流派は自由主義を標榜してきました。ただ、社会主義に対する保守という言い方はあり、吉田茂の流れに属する人たちが保守本流を名乗ることもあった。しかし、21世紀に入る頃から戦後体制に反対する人たちが、保守を名乗るようになった。一方、リベラルは、自民党のなかで戦後体制に肯定的な人たちについても使われ、それは、民主党の一部にも引き継がれている。一方、社会主義、社会民主主義、左派の人気低下に伴い、彼らが便宜的に自分たちをリベラルと称する傾向が顕著だ。

ヨーロッパでは英国のブレアなど左派政党で規制緩和を支持する人たちに、左派内部からリベラルだと非難があり、リベラル・ソーシャリズムという言葉も使われている。

フランスのマクロン大統領やドイツのシュレーダー元首相もそのように呼ばれて、社会党や社民党の主流派から非難されてきた。いうまでもなく、その主流派というのも、西側的な価値に忠実な人で、日本の社会主義者とはだいぶ違う人たちだが、リベラルというのは、彼らにとって、右より過ぎるという悪口なのだ。

こうした傾向を最大公約数的にとらえれば、ヨーロッパ型の政治経済社会をアメリカ型より好ましいと考えることがリベラルなのだろう。ヨーロッパ型とは、各国における保守派と社会民主主義派の真ん中だ。英国でなら保守党左派、労働党右派、自由民主党だ。

国際協調を重視するが一国覇権主義には反対、市場原理を活用しつつ社会福祉、人権、環境、文化などを重視するのが内容だ。また、やや大きな政府指向になる。アメリカはヨーロッパ型より全体的に右寄りで左派を名乗る勢力はないので、最左派である民主党左派がリベラル。

リベラルは歴史的に市場経済への肯定的な評価が基本で、左派はリベラルではありえない。その意味で、経済成長や経済合理性を重要視しないのならリベラルではありえないから、経済軽視の環境派はリベラルではない。そういう意味では、社会主義も経済合理性と技術進歩重視ですから環境派とは一線を画するもので、日本のように左派が環境派のような主張をするのは矛盾している。

原発についていえば、リベラルは環境への配慮を軽く見ないという意味で慎重さを要求するが、経済性を無視する、あるいは、科学的な客観性を軽視するような主張はリベラル派的でない。環境派は豊かさを犠牲することを覚悟の上での主張であってこそ彼らなりに筋が通っているのであって、豊かでありたいが、環境派なみの反原発は矛盾した主張だ。

それから、リベラルとか左派は、自国の国粋主義に反対するが、外国のそれにも反対する。日本では中国や韓国の国粋主義に同調する人がリベラルとか左派とか自称することが多いが、これは、まったくおかしな話だ。ナチスに融和的だった他国の人がリベラルや左派なのではないのと同じだ。

民進党の人たちを見れば、枝野氏には台湾やチベットなどの問題に熱心だという意味では、少しリベラル的な要素もある。しかし、多くの同調者は、どう見たってリベラルとはいえそうにない。

かつて、山口二郎氏が民主党内から保守派を追い出して「リベラル純化」すべきだとか言っているのを見て、「リベラル純化」とは山口氏のような人を排除することでないのかと茶化したことがあったが、少なくとも彼はリベラルとはいわないと思う。

いずれにしても、二大保守政党に対抗して、共産党や社民党まで含めたリベラル結集などという国語的にも無茶苦茶な言葉の使い方は、マスコミに矜持があるなら使って欲しくないところだ。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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