「死にたい」「苦しんでいる」サインをいかにキャッチするのか問題

2017年11月13日 10:00

ドリカムの曲には「愛しているのサイン」などという言葉が出て来る。しかし、世の中には鈍感な人がいて。いや、関係が深いがゆえにそれが好意の意思表示だとも気づかず。スルーしてしまうこともよくある。「コミュ力」なる言葉は実に曖昧だが、それは気遣いのようなものも多分に含んでいる。

座間の事件の件、もちろん衝撃を受けている。あまりに衝撃的であるのだが、これを前提に何かを雑に考えることも避けなくてはならず。例によってSNSに規制をみたいな話になるが、それが何にどう効くのかという視点は大切で。どさくさに紛れて、被害者のことなどお構いなしで自分の論理を通そうという人たちもいるわけで。

今日は、「死にたい」「苦しんでいる」というサインをいかにキャッチするかという話をしよう。結論から言うと「難しい」という話にしかならないのだけど。

「うつ抜け」経験者として言わせてもらうと、「鬱かも」などと思って産業医などと面談している時点で、既に遅かったりし(もちろん、問題を発見し、特定する意味でも、健康を回復する機会とするという点では意味がある)。その前兆をいかにキャッチし、処置と対策を行うかが大切である。

ただ、これは難易度が高い。個人的な経験から言うならば「朝が辛い」「電車が辛い」「酒の量が増えている」「仕事のミスが目立つ」「買い物が派手」「やたらと自分を奮い立たせようとする」みたいなことは立派な初期症状なのだけど。単にだらしない人、やる気がない人、最近調子が悪そうくらいにしか見えない。自分でも認識しない。

労務管理、健康管理の強化などと言われており、それはそれで前進なのだけど、十分だとはいえない。ましてやこれらは人事部が頑張る話だけではなく、現場の理解が必要なのだけど、研修なども十分に行われるわけではない。

この手のことは自分事として考えることが大切で。自分の周りに、第二、第三の座間事件の犠牲者を増やさないためにも(というのは論理の飛躍なのだけど)、いかにシグナルをキャッチするかという発想は大切。もっとも、それが難しいのだけど。突き詰めると、社会をどうよくするかという話でもある。

答が出ない問いであり、安易な答もまた罪である。だから今日も考える。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年11月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部専任講師

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