筒井康隆と渡辺淳一の創作論を比較して面白いことがわかった --- 中井 正則

寄稿

筒井康隆氏(左)渡辺淳一氏(公式ツイッターより引用;編集部)

創作の極意と掟 (講談社文庫)
筒井 康隆
講談社
2017-07-14

『創作の極意と掟』(筒井康隆著)は今年の7月に文庫化された本で、私はついこないだ本屋で文庫本のコーナーをなにげなく見ている時にこの本の存在に気がついて購入した。

単行本が出たのが文庫化される約3年前の2014年2月で、かなり最近になってから書かれた本である。読んでみてなかなか面白いと思ったのだが、それと同時に、かなり前に渡辺淳一が書いた『創作の現場から』という本を読んだことがあったのを思い出した。筒井康隆と渡辺淳一はほぼ同年代なのだが、この二人だったら似たようなテーマについて書いてもかなり違ったことを書きそうだ。と思い気になったので自分の部屋の中を探してみたら、『創作の現場から』(渡辺淳一著)という本も見つかったので、これももう一度読み直してみようと思った。

創作の現場から (集英社文庫)
渡辺淳一
集英社
2016-08-05

『創作の現場から』は文庫化されたのが1997年の2月で単行本が出たのが1994年2月。『創作の極意と掟』とは書かれた時期に20年ほどの隔たりがあるが、ともに昭和ヒトケタ後半に生まれた人気作家が創作論等について書いた本である。以下適宜、『創作の極意と掟』を筒井本、『創作の現場から』を渡辺本と記す。

作風が極端に異なるこの二人の書いた創作論の本を比較してみると結構面白い。

まず、章立てがかなり違う、筒井本は、大きな章がなく、5ページから10ページくらいの項目が31項目(序言・解説・索引を除く)ある。「凄味」「迫力」「色気」「異化」みたいな表現や作品の効果に関する項目がある一方、「省略」「遅延」「羅列」「反復」みたいな技法に関する項目があり、「濫觴」「表題」「展開」「会話」「文体」のような小説の構成要素に関する項目があり、そして「品格」「薬物」「幸福」という作家個人のあり方に関する項目もある。ゲリラ的にいろいろなことがずらずら並んでいるのに、全体としてはなんとなくうまくまとまっている。

渡辺本の方が見かけ上の構成は整っている。三つの大きな章があり、第一章11項目、第二章4項目、第三章3項目で構成されている。

第一章には、「主題の発見」「取材とその方法」「書斎の周辺」「体力と気力」のような「小説を書く」という行為自体とかその周辺に関する項目や「書き出しとエンディング」「題名とネーミング」「視点・会話・地の文」「人物デッサンとは」といった小説の構成要素に関する項目などがある。

筒井本には、「主題の発見」「取材とその方法」「書斎の周辺」「体力と気力」に相当しそうな項目はない。渡辺淳一ほど主題を重視したり、丹念な取材をしたりするタイプではないのだろうか。

一方、「書斎」とか「体力と気力」などは誰にとっても大切だと思うがそういった私小説的なことは書きたくないのかもしれない。「書き出しとエンディング」「題名とネーミング」「視点・会話・地の文」「人物デッサンとは」に関しては筒井本にもある程度似ている概念について書いてあり、「濫觴」「表題」「視点」「会話」「人物」という項目がある。これらは、小説の創作について書く場合避けて通ることができない要素なのだろう。

渡辺本の第二章には「作家と編集者」「作家と読者」「作家と読書」「作家と年齢」の4つの項目があり、第三章にある3つの項目は「歴史・伝記小説について」「小説と映像について」「男女小説について」である。これらの項目に書かれているようなことに関しては、「作家と読書」を除いて筒井本にはほとんど出ていない。編集者とか読者とのかかわり方とか、自分自身の年齢とのつき合い方のような私小説的なことについての記述が非常に少ないのが筒井本の特徴である。

また、「歴史・伝記小説について」「男女小説について」に代わる「SF小説について」とか「パロディ小説について」などという項目はないし、「小説と映像について」には、渡辺淳一の自作の映像化に関することが出ているが、筒井本にはこうしたことも書いていない。

渡辺本の方がより自分が作家業を営んできた過程に即して記述する傾向があり、自伝的というか私小説的な書き方をしている一方、筒井本の方が個人的なことは押さえて文芸評論的な書き方をしている。

私が、これらの本の中で、「ここが作者の一番いいたいところではないか」と思った部分がある。

ああ、小説とはなんと自由なものであろうか。特に「省略」こそは、小説がその自由を謳歌できるための最たる技法ではないだろうか。(筒井本)

やはり男と女の小説が小説の本道というか原点で、永遠に古びないテーマであるとともに、最も難しいジャンルだとも思います。(渡辺本)

「技法なのかテーマなのか」という、「そもそも何を重要問題だと考えているのか」という点からして異なっているようで、とても興味かった。

一方、二つの本で意見が一致しているところもあった。それは、「書き出し(濫觴)」について書いてあるところで、筒井本も渡辺本も、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という川端康成の『雪国』の書き出しを評価するだけでなく、それに続く第2文の「夜の底が白くなった」という文をも高く評価している。

ほぼ同年代に生まれ同じことを職業としているので、芸風や問題意識が異なってもやはり相通ずるところがあるのだろう。

中井 正則 フリーライター
予備校講師・高校教諭・書店経営者等を経て、現在はフリーライター。