お金がなくても、教育は変えられます --- さかはら あつし

寄稿

私は経営コンサルタント、作家、映画監督ですが、昨年度まで専門学校で映画づくりを教えていました。その学校を離れてから、数人の学生が私のところに出入りしています。そのうち一人は学資足らず、中退して、私のところに出入りしています。以前、シリコンバレーで言語試験のベンチャーに参加していたこともあり、教育には関心があります。で、私の個人的な観察、体験を含めて、昨今、言われる奨学金問題への考察、対処法を提案したいと思います。

世界中、教育の問題が取り上げられることが多い。これは良いことだと思います。

教育の人類史のパラダイムを考えると、「学校制度」のない時代、「学校制度が出来て誰もが教育を経て身に付けたいスキルを身につけ、学びたいことを学べる」学校制度の時代、「インターネット到来が教育を根本的に変える」これからの時代、と三つに大きく分けられます。

人類はどんどん民主主義的になり、平等主義的になっているので、「学校教育が行き渡らない、学資が用意できない」という問題が意識されるのです。学校教育が存在すらしなかった頃、「教育の不平等」などと言うことは思わなかったろうと思います。社会は歴史的には全般的に良くなっており、また、「教育が大切だ」と認識されるからこそ、「教育は大切なのに」という不満が顕在化されるのではないかと思います。だから、こういう不満な声が聞こえるのは良いことだと受け止めています。

教育は「知識の習得」「シグナリング」「場」の三つのコンポーネントで構成されていると思います。

「知識の習得」の説明は不要ですね。今、情報はインターネットになんでもありますので、「知識」というものにアクセスするのに学校は限りなく不要になって来ています。

「シグナリング」というのがわかりにくいかもしれませんね。これは経済学の考え方で、「高等教育を受けた人を企業が雇うのは合理的だ」ということを説明した考え方で「高等教育がシグナルだ」というものです。しかし、これは「資格試験」によって多くを担ってもらうことが出来ます。

私の教え子が専門学校の退学を余儀なくされ、人生の指針がぶれないようにと始めたのは、インターネット電話を活用して、週に二回、夜に話すことでした。必要だと思ったので、学校では学生ではなくなりましたが始めました。このような仕掛けを作ることが大切ですが、これは一つの「場」ではないかと思います。

同級生との出会いも「場」です。この「場」というものを作り出すことがこれからは非常に大切ではないか、というのが私の考えです。

その教え子のサポートを始めて1、2年経った今、その教え子には放送大学に入学してもらいました。

放送大学というのは優れた大学です。教授陣は日本でも最高峰の布陣で、授業料はたったの70万円ちょっと、一年間ではなくて、卒業までです。これは世界的に見てもかなり安いです。

私はアメリカの留学時代に放送大学卒業生の日本人に幾人か出会いました。研究者の仲間にもいます。放送大学は社会人教育のために作られた大学ですが、一流の先生ばかりですから、そこで頑張って学んだ人は、その先生の推薦状をもらって大学院に進学することができるのです。

私の教え子は高校の奨学金も払わないといけないという厳しい状況ですが、放送大学を卒業後には有名国立大学の大学院進学を目指しています。そこからもう一度、人生を組み立てようとしています。

今回、「小さくても勝てます」(ダイヤモンド社12月7日配本)という私のアドバイスを聞いて、店の売上を倍以上に上げた事実を物語に紡いだ原稿を書いたのですが、その中でも、その青年のことが少し出て来ます。

アドバイスをもらって成功した理容師も放送大学を卒業します。

放送大学は非常に優れた高等教育機関ですが、どう続けていくか、指導者だったり、仲間だったりが存在する「場」が必要なのではないかと思います。そうするとインターネットの到来がもたらした情報革命の中で起こる教育パラダイムシフトの先、次世代の教育のイメージが見えてくる気がしていています。

「知識の習得」はインターネット上の授業に任せる、「シグナリング」は検定試験であり、学位であり、推薦状であり、そして、進学する大学院の評価、「場」は就労しながら(稼ぎながら)、5、6年かけて卒業する予定の放送大学の学生が何人かいる学生寮をつくればいいんじゃないかと思います。そこにはメンターのできる寮監を置いて、若者が道に迷わないようにする。それでかなり高等教育のコストは圧縮することができるのではないかと思います。

コストの話だけすると、何か貧乏な若者専用の放送大学学生用の寮のようですが、よく考えるとそうではないですね。通常の大学、東大や京大には絶対にできないことがこの高等教育のシステムには可能です。もし、この学生寮を北海道、京都、沖縄と三箇所、作ると、そのシステムの参加者は五、六年の間に、居場所を一度変えることができるようにします。すると京都の観光ツーリズムで働きながら三年、北海道で冬はスキーを楽しみながら三年という感じです。

これは従来の大学にはできませんでした。寮にはそのコミュニティーの人が寮監をし、育てるわけです。寮監は地元の大学の先生かもしれませんね。これを日本の地方でやれば、少ない働き手を補い、その地方が気に入れば、そこに定住者も生み出す可能性もありますし、そこで事業を起こす可能性もあるわけです。

このやり方は拠点を海外に作れば、日本人のためのワーキングホリデーを利用した留学経験を提供する国際展開が可能なだけでなく、外国の優れたオンライン大学を活用すれば、世界中の若者のための高等教育機関に育てることができると思います。日本から世界を変えられるのです。

私は経営コンサルタント、作家、映画監督ですが、少しずつ準備して、このような仕掛けを実現させたいです。これを実現するのには、それほどお金はかからないと思います。そして、私以外にもこのアプローチに賛同する方が増えたらと思ってこの記事を書いています。

さかはらあつし 1966年生まれ、京都大学経済学部卒、電通を経て、カリフォルニア大バークレー校にてMBA取得後、シリコンバレーのベンチャー企業に。その時、MBA時代に参加した映画がカンヌ映画祭短編部門でパルムドール賞受賞、帰国。経営コンサルタント、作家、映画監督、近刊に「小さくても勝てます」(ダイヤモンド社)。