アルマーニも問題だが、ダサくて払う価値を感じない制服も問題だ

2018年02月12日 15:00

そういえば、いま、アルマーニのスーツやジャケットを一着も持っていないことに気づいた。体型が変わり、若い人にあげてしまったのだったっけ。ネクタイやチーフは持っているのだけど。

採用担当者をしていたとき、他社の担当者に見た目で負けないように、アルマーニ・コレッツォーニのスーツと、シャツ、ネクタイ、総額20万円コースを買ったことを思い出した。約10年前のことだ。その後、ジャケットやパンツなどもゲットしたのだけど、ほとんど手元に残っていない。

なぜだろう?いや、ぶっちゃけアルマーニはスーツやシャツに関しては、普通に買うにも日本人体型へのお直しが必要だったりするし。何より、今の私にとって、かっこよく感じないということなのだろう。このあたり、ブランドの栄枯盛衰と自分の価値観のマッチの問題で。イッセイ・ミヤケか、HUGO BOSS率が高い今日このごろ。

それはそうと、泰明小学校のアルマーニ制服問題。何かこう、アルマーニ×銀座にバブル臭というか、古臭さを感じたり。憧れ感がまるでなく、滑っているように感じる。

いや、これはあくまで私の感情論であり。真面目な話をすると、これはアルマーニかどうかという問題ではなくて、ましてや泰明小学校に限った問題ではなくて。制服の方針について学校側に明確な根拠があるのかどうかという問題と、保護者や生徒に納得感があるかどうか、社会のルールの範囲内かどうか(逸脱するとしたならば、説得力のある論拠があるかどうか)という3点の問題の話だ。

アルマーニが高いとか、ダサいとか、これじゃ元気に遊べないのではないかなどの問題はあるのだが、要するにそれも含めて、この制服を採用する理由にその学校ならではの教育方針も含めた論拠があって、生徒と保護者が納得して、社会のルールに反していなければOKなわけだ。

注意しなくてはならないのは、これは「アルマーニか否か」という問題ではない。採用する論拠が薄弱で、保護者が納得していないというのが問題なわけだ。

だから、実はこれはアルマーニだから問題というわけではなく、一般的な日本の制服に関する問題を炙りだしていないか。つまり、あえて庶民的な言葉で言うならば、ダサい制服を納得感のない料金で買わされて、しかもそこに教育方針のようなものがなく、生徒や保護者が納得していないなら、それもまた問題なのである。世の中には、既得権による長期取引で業者が納入している、これを着せること自体どうなのだという制服だらけではないか。8万円のアルマーニを買わされる生徒もかわいそうに見えるが、たとえ5000円でも、価格に納得感がなく、機能性が低く、教育的根拠も薄弱な制服は迷惑なのだ。

ただ、ダサいのも問題と言ったが、実はそうとも限らない。ダサい服をあえて着せることによって、集団意識を醸成したり、倹約する姿勢を学ばせるという意味なら理解できる。また、別に保護者や生徒が反発しようとも、結果として満足のいく教育効果が出せるのなら話が別だ。

問題は、この学校の覚悟ではないか。いや、記者会見などでは、方針を説明しているように見えるのだが。銀座=高級ブランドという図式自体が、世間とズレている。今どきの銀座らしさとは何か。もっというと、銀座らしさなど関係なく、泰明小学校らしさとは何かを、同校の関係者は説得力のある説明ができるのだろうか。そこが問題だ。むしろ、泰明小学校らしさや、期待することは、保護者の方が語れるのではと思ってしまう。

話が例によって拡散したが、学校に限らず、職場においてもまだまだ制服がある企業というのは存在する。それがまた一定の支持を得ていたりもする。しかし、これも組織のあるべき姿を示すものであり。その制服に意味があるか、納得感があるかという検証をしようではないか。


最新作、よろしくね。社畜流のおしゃれ術についてもふれているよ。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年2月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部専任講師

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