先般、某企業に勤務しているかつての同級生と酒を酌み交わす機会があった。
「どうも、調べる力に差が出ているようだ。感覚的には、高齢者の方が多いようだけど、若い社員の中にも驚くほど調べる力がない者がいる」
彼の一言から、話はどんどん発展していった。
詳細を聞くと、グーグルなどの検索エンジンを使えば簡単に調べられる事項を、何度も質問する社員が多いとのこと。
目の前で検索して調べるパフォーマンスをして「これで今後は大丈夫」と安心したのに、また同じことを質問されてガッカリ。
どうやら、根本的に「調べる力」が欠如している人間が一定割合でいるのではないかということで話が終わった。
私自身、「どうしてこんなこと検索せずに尋ねてくるんだろう?」という経験を何度もしているので、「調べる力」が欠如している人が一定数存在することを以前から認識していた。
「調べる力」が欠如してしまう明白な原因は不明だが、以下のような理由があるのではないかと推測される。
1 調べるきっかけとなる「基礎知識」が欠如している。
例えば窃盗罪の公訴時効の年数を調べる場合、「公訴時効」というタームがわからないとすぐに出てこない。
「窃盗」「時効」でも調べられるだろうが、そのようなタームすら思い浮かばない(これは極端な例だ)。
2 一人で仕事をしたり任されたりした経験に乏しく、常に「質問すれば教えてくれる人」がいるために「調べる習慣」が身についていない。
私自身が「即独」で弁護士事務所を開業した時、わからないことは分厚い書籍や判例集等を山積みにして調べるしかなかった。
もし、会社組織で働いていて「生き字引」的存在がいれば、これほど調べる習慣が身に付いていたか、自信がない。
3 一定以上の地位に上がると部下が全部お膳立てしてしまうので、調べる必要がなく、いきおい「調べる力」が欠如してしまう。
同じ会社組織にいても、友人のように「調べる力」を発揮している人間と、欠如している人間が同居していることを考えると、「正確に知ろう」という意識の有無という個人的資質の問題なかもしれない。
いずれにしても、「調べる力」の有無は、来たり来るAI時代において大きな格差につながりそうな気がする。
スマートスピーカーの利用に際しても、「どのように問いかけるか?」が今のところ最大のハードルだ。
「窃盗と時効について教えて」だけでは、回答が返ってこないだろう。
どれだけAIの機能が向上しても、生の事実を与えただけで期待通りの回答がズバリ返ってくることはない。
鉄腕アトムの電子頭脳のように、簡単な会話から回答を導いてくれるようになるまでは(なるのかどうかは知らないが)、「調べる力」はAIを駆使するための必須の能力だと思う。
高齢者はともかく、若年層は、「調べる力」の有無によって格差が大きく広がりかねない。
「自分で調べずについ質問しているな〜」と自覚している人は、一刻も早く調べる習慣を身につけよう。
難しいことじゃない。習慣の問題だ。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年3月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。