日本人のAI対応力

ワーナー・ブラザーズが昨年アメリカで大ヒットしたテレビ・シリーズ、「ウェストワールド」のファースト・シーズンを今週から日本でリリースということなので、私的に書き留めておいた文章を編集・再掲します。

先日(2017年4月)、某団体の勉強会に出席してAI/IoT/Big Dataの講義を聞いてきました。

政府機関の顧問をつとめるという講師の方のレクチャーは、日本の官民一体の取り組みを丁寧に説明していて、興味深かったのですが、レクチャー後の懇親会で

「『Westworld』みてますか?」

と聞いたら、

「それなんですか?」

とのお答え。

最近のアメリカのエンタメ界ではAIのテーマが花盛り。1973年の映画「Westworld」(監督・脚本は「ジュラシック・パーク」の原作者、マイケル・クライトン)のテレビ・ドラマ化リメイクはその一つの頂点ですが、今年の後半にはこの分野の草分け的「Blade Runner」の続編が公開されます。スカジョが少佐を演じる「攻殻機動隊」の実写版もこの流行りにのったものという一面があるとおもいます。

勉強会の講師氏も言っていましたが、こうしたAIやロボットの話になると、

「日本人には鉄腕アトム以来の伝統で、こうした技術の進歩を受け入れやすい土壌がある。」

といいますが、本当にそうでしょうか。

日本の映像エンタメ文化の流れでは、アトム以降、「マジンガーZ」あたりで、機械に主人公が乗り込むというパターンが定着し、ロボットは「のりもの」と化しました。なぜ「のりもの」が擬人化されたロボットの形をしていなければならないのかという問題点は「ガンダム」のバックストーリーが語られるまで解決を見ませんでしたが、「ガンダム」はマシーンの進歩の話ではなく、そのパイロットが「ニュータイプ」として覚醒していくという「ヒトの超人化」という話にすり替えられてしまいます。

実際のところ、日本人のロボットやAI(人工知能)に対する感情は、「銀河鉄道999」の星野鉄郎が機械伯爵に対して抱く「復讐心」のままなのでしょう。それは都会のエリートが勝手に推し進める、人間の「素朴な価値観」に対する冒涜であるという考えです。

日本のエンタメ界もアメリカに負けず、こうしたテーマをもっと推し進めた作品を発表してもいいと思うのですが、あいかわらず薄っぺらな恋愛ドラマにあけくれ、視聴率がとれない責任を主演女優におしつける日本のテレビ・ドラマをハスから眺めるに、老人メディアと化した日本のテレビに期待してもしょうがないと気がつきます。

読者の方で、「攻殻機動隊」以降、こうしたテーマを取り上げた日本のオススメ作品をご存知でしたら、ぜひご教示ください。