民法233条は以下のように規定している(太字は編集部)。
1 隣地の竹木の枝が境界線を越えるときは、その竹木の所有者に、その枝を切除させることができる。
2 隣地の竹木の根が境界線を越えるときは、その根を切り取ることができる。
法学部生以外を対象にした、教養としての「法学概論」や「法学入門」などで頻繁に紹介される条文だ。
「隣の木の枝が自分の庭に伸びてきた時はお隣さんに『切ってくれ』としか要求できないのに、根が自分の庭にのびてきた時は勝手に切ってもいい。どうしてだろう?」とみんなに質問して、考えさせる絶好の材料になるからだ。
ところが、本条の解釈については民法学者の間でも多岐に分かれており、決定版というものが存在しない。
民法の大家である我妻栄先生は、「枝の場合は木の所有者に植え替える機会を与える必要があるが、根は重要ではないので植え替えの機会を与える必要はない」と説いている。
しかし、枝が伸びてきただけで「植え替え」までしなければならないケースは滅多にないだろう。
ほとんどの場合、枝切り鋏で剪定してしまえば済むことだ。
我妻説とは別に、「根は自分の土地の養分を吸っているので純粋に他人のものとは言えない」とする説や「根がのびてくるのを放置するのは自分の家屋に危険を及ぼす」という説もある。
私の解釈は以下のとおりだ。
建物の立て替えや新築をする際、土地を掘り起こすのが通常だ。
地下部分(地下1階や地下2階)を作る場合にはかなり深く土地を掘ることになる。
その際、地中に木の根っこがのびている場合が多い。
根っこだけだとどの木からのびてきているのかわからず、自己所有地の木なのか、右隣、左隣、はたまたその向こうの土地の木か見当が付かない。
一つ一つ確認して、木の所有者に「切ってくれ」と頼まなければならないのでは工事が著しく遅延してしまう。
だから、無条件で切ってもいいことにしている。
我妻先生の時代には想定できなかった解釈かもしれないが、今の時代に最もマッチした解釈だと自負している。
このように、条文が規定された理由を制度趣旨といい、時代と共に変わることも少なくない。
テレビ受信機の「設置」と「携帯」を区別した地裁判決が高裁で覆された。
放送法の制度趣旨は、「受信サービスを受けることができる者は(公平に)受信料を支払う義務がある」というもので、法律制定当時に「携帯」の受信機がなかっただけのことだ。
「携帯」を放送法の範囲外にしてしまうと、折りたたみ式でコロを付けて「携帯可能」にすれば、大型テレビも範囲外になってしまう。
放送法の趣旨の当否は別として、制度趣旨を無視した判決が覆るのは当然のことだ。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年3月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。