三権分立は世界で日本だけ?画期的な日本の憲法学通説

2018年04月17日 06:00

TBSラジオサイトより:編集部

「木村草太教授の学説は憲法学界を代表しているのか」という題名のブログを書いた。木村教授は、集団的自衛権は「軍事権」なるもので行使されるが、「軍事権」が憲法に規定されていないので、集団的自衛権は違憲なのだと言う。ちなみに個別的自衛権は「行政権」なので合憲だという。

初めの一歩の「軍事権」が空想物のようにしか聞こえないので、「消去」されていると言われても、謎々みたいな話にしか感じられない。

行政権とは別だということは、「軍事権」というのは、三権分立から離れた「第四権」か。もっとも日本だけは「消去」しているので、日本の三権分立は無事だ。ところが日本以外の世界の諸国は、集団的自衛権を認めているので、「第四権」である「軍事権」なるものを持っているらしい。諸国の三権分立はどうなるのか???

その後、匿名の方からのブログへのコメントで、「軍事権のカテゴリカルな消去」という発想の起源は、やはり石川健次・東京大学法学部教授だろう、と教えていただいた。石川教授は、それで自衛隊違憲論の立場にあるという。

「軍事権のカテゴリカルな消去」は、もともとの発想では、自衛隊違憲・非武装のドクトリンであったのだ。そこに個別的自衛権は合憲だが、集団的自衛権は違憲だ、という落としどころを付け加えたのが、木村草太教授のようだ。

自衛隊が違憲になるか、合憲になるか、について全く違う結論を導き出しても、同じ一つ憲法学の通説を持っていることになるというのだから、憲法学界というのは、なかなか大らかな学界だ。

ついでなので石川健治教授の「前衛への衝迫と正統からの離脱」論文から引用しておこう(面倒な方は飛ばして読んでください)。

軍隊を消滅させることによって軍事力統制の課題そのものの解消を企図した現行憲法九条は、日本の議会政治へのdefinitionalな制約条項としての意味をもちえただろう。すなわち、同条は、第一に、議会の立法権行使に関し、軍編成権(軍政)に関しては、その組織法制定権限に制約を課す、という(消極的な)法的権限規定の側面、第二に、そうした組織法制定権限の制約(その結果としていわゆる軍令の領域も原理的に存立しえなくなる)根拠として、平和主義の理想という―――「民意」をも超える―――高次の正統化根拠を提示しているという側面と、第三に、それに伴い政府が軍事予算を計上することが不可能になる、という意味での財産権の限界規定の側面とを、もっていたはずである。にもかかわらず、戦後の国会は、消極的権限分配としての九条を破って、自衛隊法という組織法を制定するに至ったのであり、しかも、裁判所が憲法判断を回避している現状のもとで、自ずと第二および第三の側面に過重な負担がかからざるをえなかったのが、戦後における軍事力統制の特異性である。すなわち、平和主義という正当化根拠によって自衛隊の正統性を剥奪するとともに、GNP一パーセント枠というそれ自体何の理論的根拠もない財政権の限界規定(その場合に御大蔵省の果たした役割は大きい)により、辛うじて軍事力のコントロールをし、国家機構における権力バランスを維持してきたというのが、戦後の憲法史の現実ではないかと思われる。」(116-117頁)

この名文によって、今や「カテゴリカルな軍事権の消去」は、憲法学通説となった、ということのようである。ただし自衛隊が違憲なのか、合憲なのか、個別的自衛権だけは合憲なのか、やはり違憲なのか、まだわからない。『憲法判例百選』の解説者陣へのアンケート結果の集計を待たなければならないのか。

ちなみに石川教授の「前衛への衝迫と正統からの離脱」論文の「結論」はどうなっていたか。引用してみよう(途中で辛くなる方は、飛ばして先に読み進めてください)。

近代的主体なるものが、その種の―――連帯関係のレベルでの―――哲学者の妄想において確立されてきたのではなく、主体を実際に確立するに際しては―――法関係のレベルでの―――われわれ法律家の力によるところも少なくなかったことを考えると、そうした妄想が我々の議論を根底から覆すと考えてあわてる必要はない。むしろ、社会的価値評価の水準での文化的開放の動きとの関連を、慎重にかつ繊細に見極めてゆくことが重要であるように思われる。そのひとつの手がかりを、本稿は<前衛への衝迫>と<正統からの離脱>という対称軸に求めて、これと憲法学サイドの「期待の地平」(H.R.Jauß)との関係を、試験的に考察してきた。そして、そうした状況下で立憲主義者が心がけるべきは、詩人T・S・エリオット風にいえば、現行憲法を擁護するという意味では保守主義者であること、前衛への衝迫から自由であるという意味では古典主義者であること、そして<文体>の実験がもつポテンシャルに開かれてあるという限りでモダニストであること、ではないだろうか。これが本稿筆者のさしあたりの結論である。」(122-123頁)

それで、結局、「第四権」=「軍事権」はあるのか、ないのか?
『憲法判例百選』解説者アンケート結果が出ていないので、どちらだかわからないような不安に襲われる。
大日本帝国憲法下では「統帥権」があったのに、日本国憲法にはないなら、それは「統帥権のカテゴリカルな消去」を示しているのではないだろうか???

木村教授は、「軍事」を「他国の主権を制圧して行う活動」と定義する。ということは、「軍事権」は「他国の主権を制圧」する権利?それを日本以外の世界の諸国は持っている?

(ちなみに、集団的自衛権は、支援対象国の同意にもとづき、その国の主権を侵害している脅威を除去することを支援する行動だ。集団的自衛権にもとづく行動は、「他国の主権侵害を除去して回復させることを支援する活動」、なので、軍事力を用いても、木村教授の言う「軍事権」の行使には該当しないだろう。)

近代憲法は、三権分立を大原則にしている。その前提から、国家の機能のうち立法と司法の機能を除いた全ての機能が行政機能と分類されると考える「行政控除説」は、ほとんど常識化している通説だろう。行政控除説に異を唱える学説もあるようだが、だからといって行政権の外側に「軍事権」がある、などという話につながるわけでもない。三権分立を、近代国家の立憲主義の根源的考え方の一つとみなす限り、あらゆる国家機能は、三権のどこかに帰属すると考えるのが原則であるはずだ。

三権分立の考え方にしたがえば、軍事組織を創設する権能は立法権(Legislative power)にあり、軍事組織を運用する権能は、「執行権/行政権(Executive power)」にある。日本国憲法にそって言えば、「国務を総理する(conduct affairs of state)」ことに含まれると考えるのが自然だ。

「軍事権」=「統帥権」=「第四権」を主張する木村ドクトリンは、世界最先端の画期的憲法論か、ガラパゴス憲法論の究極的な形態か。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2018年4月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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篠田 英朗
東京外国語大学総合国際学研究院教授

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