「与党」と「野党」という2つの政党

日本には、いくつもの政党があります。「自由民主党」、「公明党」、「維新の党」、「立憲民主党」、「国民民主党」、「共産党」等。選挙では政党ごとに公約がつくられ、一人一人の候補者は公約の中での優先順位がそれぞれ異なっています。公約はもちろん、政党の存立基盤である綱領から逸脱しない範囲で時代に応じて中身は異なっているのです。ある時は地方分権、ある時は郵政民営化、ある時は財政再建、メインテーマとして掲げる内容には違いがあります。

選挙が終わり政党の議席数が明確になる中で、政府に対して「与党」になるのか「野党」になるのか、という区分が明確になります。与党として政権を運営していく事になれば、過去を正しく理解した上で、国の行方や国民の将来に責任を持たなくてはいけません。過去を全否定して、過去を担っていた運営者に責任を取らせ、施策変革を超短期的にハードランニングさせていく事を「革命」と言うならば、日本国民は革命を望んでおらず、「改革」を望んでいるはずです。

過去の施策はその時代の判断としては間違っていなかったが、経済、人口、テクノロジー、国民意識等の社会背景が変化したことにより、当時の施策が現在に適応していないという認識に立脚することです。そして、今は過去の延長線上に未来がないという意識を持つことが不可欠になっているのです。

国の政治は、選挙時を除くと結果的に「与党」と「野党」という2つの政党しか存在していないと考えます。昔流に言うならば、与党の仕事は政権を維持する事、野党の仕事は政権を潰すこと、これしかないということになります。自民党の歴史に残る大先輩が語り継いでることでもあります。今の時代、本当にそれで良いのだろうか?欧米という目標があり、追いつけ追い越せ。マネして良いものを安く作り、加工貿易として栄えていた時代は、官僚と企業が先導して国の発展を担ってきたとも言えます。一流の官僚、二流の企業、三流の政治という位置づけの中では、政治は政権を維持する事、潰す事に専念していても国の経済発展に影響がなかったと考えられます。

しかし、前例のない未知なる道を歩まなくてはいけない現況の中で、政治が果たすべき本質的な役割は変化しています。つまり、政治が1流にならなくてはいけないということです。どんな社会を想定して、今、何をなすべきなのか、方針を示さなくてはいけないのです。そしてスピード感をもって実行させなくてはいけないのです。

選挙が二元論である以上、常に選挙の事を考えれば、議会運営も施策選択も「YesかNoか」、「敵か味方か」とう事が判断の全てになってしまいます。しかし、特定の支持政党を持たない多くの一般有権者は、通常時の国家運営に二元論を求めているわけではありません。選挙期間以外は、選挙を意識していないし、政党を選ぶことはしていません。国民にとって、次世代にとって必要な政策を議論を深めて最高のものにして実行して欲しいと思っているのです。

野党による条件闘争的批判、政府・与党による嘘をついても資料を改ざんしても立場を守り続ける姿勢、誰も望んではいません。「森友・加計問題」も行政と政治の在り方が問われる国のガバナンスの課題であることは間違いないので、真実を追い求めていくことは必要と思います。だからとって他の法案審議や人事案件などを人質にとるような方策は正しいとは言えません。ツートラックで議論を深めれば良い事だと思います。政府・与党も選挙で過半数を得ているから、最後は多数決で何とでもなるという二元論での思考を捨てるべきと思います。

与党も野党も選挙の時以外は、敵味方ではなく、国民の為に、例え選挙で不利になろうが、お互い真摯に議論を深めて最高の政策を選択して、スピード感を持って実行すべきなのです。自分たちに投票してくれている支援者だけの為ではなく、選挙では支援してくれていない人の為であってもなのです。何故なら、国民全員が納税者であり、時の与党を選挙で支援してくれていない人たちの税金が含まれて政策が実行され、議員や公務員の給与が支払われているからです。

「そんなの単なる理想だよ。現実がわかっていない」という声が聞こえてきそうです。でも、僕は34年間政治の世界にいたので現実はわかっているつもりです。それでも、政治が夢や希望を語らなくなったら、何が残るというのでしょうか。「それは理想だ」と一刀両断に切り捨てて未来があるのか、ということです。経済や行政に理想を求めても実利が失われてしまえば、国家的損失となります。

しかし、その現実実利から、本来、人間が本質的に求めている事に、一歩でも近づくことが、あるべき姿にたどり着く為の道筋を示すことが、政治の仕事です。政府に対する政策選択、組織運営上の厳しいチェック、そして対案の提示とより良き政策を作り上げる建設的な議論、そして施策遂行の工程チェックは、与党も野党もなく、国会議員として行動すべきことだと思います。

僕が落選していた時代、つまり民主党政権の時代には、自民党ですら野党の役割を担っていたようで、自民党という役割を果たしていたわけではりません。政党も政治家も時代と共に役割や手法、考え方を変えていかなくてはいけません。人口減少社会の中での経済発展を追い求めていくなら、なお更のはずです。


編集部より:この記事は元内閣府副大臣、前衆議院議員、福田峰之氏のブログ 2018年5月15日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、福田峰之オフィシャルブログ「政治の時間」をご覧ください。