フランスのパンが変わった:老練な欧州農業とお粗末な日本農業 --- 竹沢 尚一郎

寄稿

パリのマルシェ(yisris/flickr:編集部 ※写真はイメージです)

フランスのパンといえば細長いバゲットを思い浮かべる人が多いだろう。外側はこんがりと焼け、中は白くふんわりとしている。砂糖も牛乳も加えない単純さは、濃厚なフランス料理によくあっている。

今年の4月からフランスに来ているが、驚いたのはそういうバゲットが少なくなっていることだ。パン屋に行って注文すると、バゲットの外観は以前とほとんど変わらない。ところが中は薄茶色で、しかももちもちとした感触である。外側がこんがり焼けて中が白くふっくらしているバゲットなど、やがて日本でだけ見られる絶滅危惧種になるのかもしれない。

なぜフランスのパンがこうも変わったのか。答えは有機農業や環境意識が大きく進んだことにある。無漂白小麦粉や全粒粉で作ったパンや、大麦、ライムギ、麻の実などを入れた自然志向のパンが大流行しているのだ。

有機農業の現況については興味深い数字がある。農林水産省のレポートによれば、2011年のわが国の全農家に占める有機栽培農家の割合は0.2%にすぎない(この数字は認証数であり、実際には0.5%程度と見られている)。イタリアの8.6%、ドイツの6.1%、英国の4.0%、フランスの3.6%よりはるかに少ないだけでなく、韓国の1.0%と比べても少なさはきわだっている。なかでも興味深いのはフランスの事例であり、その割合は2007年に1.9%、2011年に3.6%、2017年に6.7%(フランスの資料による)とこの10年のうちに急増しているのだ。

こうした急速な発展の背景にあるのは、安全な食を求める消費者の志向であるとともに、政府の熱心な働きかけである。フランス政府は1998年に有機農業を推進するための5ケ年計画を発表し、それ以降途切れることなく更新している。ヨーロッパ連合が1998年に「EU農業政策(PAC)」を取り決めるにあたっても、フランスやドイツ、オーストリアなどの有機農業に熱心な諸国の意図が反映されている。

これによって有機栽培農家を優遇する政策がとられるようになり、フランスではヘクタール当たり100ユーロから600ユーロ(1.3万円から8万円)の所得補償がおこなわれている。フランスの農家の平均農地面積は17ヘクタールなので、少ない数字ではない。

フランスが工業国であると同時に農業国でありつづけているのはこうした手厚い政策によるものである。フランスの純農家数は45万戸であり、加工品を含めた農業収入の総額は9兆円に達している。しかも、ワインやチーズなどの特産品をもつフランスの農産品は輸出が輸入を大きく超過しており、その額は8000億円、全輸出産業のなかでも化学製品と自動車につぐ第3位の位置を占めている。日本の農産品の輸入超過額が約6400億円であることと比較するなら、フランスにとって農業がいかに重要かがわかるだろう。

フランスを含むヨーロッパ連合は手厚い農家保護で知られるが、その背景にあるのは食糧安全保障の考え方であり、国土保全のためには農業を維持することが必要だとする発想である。さらにいえば、大規模な農業経営や遺伝子組み換え、家畜へのホルモン投与などを推進する北米の農業とは異質な、ヨーロッパ独自の農業モデルを作ろうという意欲である。しかもそれが「環境にやさしい農業」という思想(ないし美辞麗句)に裏打ちされているところに、ヨーロッパの老練さが透けている。

こうした発想や政策と比較するなら、我が国の農業政策はお粗末の一言に尽きる。相も変わらず農業予算の大半を占めるのは、農業の大規模化の掛け声のもとでの圃場整備費であり、有機農業の推進に関する法律は制定されたとはいえ、その推進のための予算は全予算の1%に満たない。国も地方自治体も若い農業従事者の増大をテーマに掲げているが、新規就農者に対するアンケートで「有機農業をやりたい」が28%、「有機農業に関心がある」が65%と高い数字を示しているのに対し、あまりに無策でピントのずれた対応であり政策であるといわなくてはなるまい。

今日のわが国が抱える最大の課題のひとつが、都市への人口集中と高齢化による農村の「限界集落」「地方消滅」などと呼ばれる事態にあることは言をまたない。であれば、地域の活性化につながる農業振興と新規参入者の増大は上位の政策課題として位置づけられるべきであろう。

わが国の中山間地帯には、京都府西方寺地区や兵庫県村岡地区など、有機農業を核とした熱心な取り組みによって新規就農者が増大している地区がいくつもある。そうした地区単位の有機農業への転換を支援する政策や所得補償は、日本の農業の将来のためにきわめて大きな意味をもつであろう。

くりかえしになるが、安倍政権の重要課題の一つである経済効率だけを考えた農業の大規模化では、日本農業の将来像を描くことはできない。食の安全、新規就農者の増大、国土保全、持続的な地域開発など、総合的で魅力ある農業プランの創造と実行が早急に求められているのである。

竹沢 尚一郎
国立民族学博物館名誉教授
仏社会科学高等研究院フェロー