「死のロード」から垣間見た「日本の死の谷」

ようやく、死のロードが終わった。土曜日の朝6時に家を出て札幌へ、日曜日は、朝7時前にホテルを出て東京へ、月曜日は朝6時前に家を出て羽田からソウル、火曜日はシンポジウム、水曜日は朝5時にホテルを出て、東京へ。

到着後、ビッグサイトへ向かい(電車で行くと結構不便だ)、午後1時から講演をして、その後、また、羽田に戻り、大阪へ向かい、会議。木曜日は朝75分発の羽田行で東京に戻り、運転免許試験場へ。ようやく、日本の免許証をゲットし、そして、内閣府で「AIホスピタル」の記者懇談会、そして、友人と会食。

今朝は、1週間ぶりにわが家で朝食を食べた。飛行機の中で、スライドの準備、論文の校正と、寝る間もなく過ごしたが、意外に大丈夫な感じがする。 

日韓で多くの話を聞いたが、遺伝性乳がんの遺伝子診断、乳房の予防的切除などは、日本の方が遅れている。遺伝性乳がん遺伝子診断は日本では自費だが、韓国では一定の条件を満たすと国がカバーしてくれる。そして、遺伝性乳がんで片方の乳腺にがんが見つかった場合、対側の乳腺の予防的切除も保険でカバーされる。バカ高い遺伝子パネル検査が日本でも始まっているが、分子標的治療薬が見つかった際の薬剤利用が公的保険でカバーされるのかどうか、最近になって議論を始めたそうだ。遺伝子診断の先に何が起こるのか、2歩先のことさえ、考えていないお粗末な状況だ。

もし、パネル検査で偶発的に遺伝的な異常(遺伝性乳がん・卵巣がん遺伝子異常など)が見つかった時に、その人が予防的切除・乳房の再建術を求めた場合、そこまで国として責任を持つ施策が必要だと思う。韓国のシンポジウムで、聖路加病院の山内先生がデータを示したおられたが、予防的切除の費用対効果は高い。 

ビッグサイトでAMEDの話も聞いたが、研究予算をどのように配分しているのかが中心だった。5102050年先に医療がどのように変貌しているのかをシミレーションをして施策を考える必要があると思うのだが、どのような姿を描きながら、施策を決めているのかわからないままだった。

医学研究から医療への応用も、20年前と同じ議論が繰り返されている。大学が創薬のシーズを見つけ、企業がそれをもとに薬剤を開発するなどの絵空事は変実世界では通用しない。その間には死の谷どころではなく、大きく深い溝、いや、断裂がある。ボトムアップでなく、トップダウンの戦略が不可欠だ。

(今となっては、懐かしい風景)


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴから戻った便り」2018年6月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。