ライターの価格表公開問題 自分や業界を守る意志があるか?

最近、ライターの間で仕事の価格表を公開するのが流行っている。まあ、民間人(ガンダム風)にとってはあまり興味がないかと思うのだが、これは「何のために?」というのが問われる案件であるので、意見を述べておこう。結論から言うと、「そのアクションはその人と業界を守るのか?」という視点が必要ではないか。

いきなり自分語りを始めるが。私と仕事をした人なら分かると思うのだが・・・。私はすべての仕事を「言い値」でやることにしている。ギャラ交渉をしている手間暇が面倒くさいからだ。

「頼まれごとは試されごと」だ。仕事は、時間と場所が合わない以外は基本、受けることにしている。「断らない力」と呼ぶことにしている(そういえば、勝間和代さんのあの本からもうすぐ10年だな)。ギャラの安い仕事や、「ギリギリストライクゾーンかなあ」と思うような分野の仕事で、道が開けたこともある。

もっとも、「ギャラ交渉をしない」という件については、先日、盟友おおたとしまささんにムサビでゲスト講義をしてもらった際にやや反省して。

ギャラ交渉は誰のためかという問題

「ベテラン」と自分で言うのは恥ずかしいけど、一応、12年物書き業をやっている私が、安いギャラで仕事をしたら、業界全体の相場が下がる可能性がある。例えば私が1万円で原稿を書いたら、それを基準に若い人は5,000円になったら不幸だ。「1万円で2000字の原稿を書いてくれる人」枠があかないともいえる。若い人が私よりもらっていたら、それもまたショックだけど。

本題のライターの料金表公開問題。結論から言うと、この問題は個人の仕事の価値やクオリティを定義し、宣言するという意味では有効だろう。ここでのポイントは価格だけでなく、クオリティやサービスレベルまで定義することだ。やりすぎてしまうことに歯止めをかけることにもなる。

また、料金表を決めることと、公開することは段階も意味も違う。公開することにより不快に思う人もいるかもしれない。単なる話題作りに使っているのなら、なかなか残念だ。

懸念されるのは、これが自分や業界を守るツールではなく、結局、買い叩かれるツールに使われてしまうことである。これでは本末転倒だ。



この手のことは会社員でも大事な話であり。どこまでやるかを決めることが、長時間労働是正にも、自分の体や心を守るためにも有効になる。この本でもそんな趣旨のことを書いた。

物書きとしての生きる上でのポイントは、この料金表をどう変化させるか、しないかという話だったりする。つまり、価格が上がるかどうか。サービスラインナップが広がるかどうか、クオリティの基準をどうするか、など。あるいは、仕事の範囲や質などを守り続けるか、という。

というわけで、業界のために、働く人を守るためにという視点で以前よりもギャラは気にするようにしようと思ったり、一度、自分のギャラの相場だけでも整理しておこうと思ったのだけど。料金表は定義はしても公開する気にはならないというのが私の考え。

皆さんはどう思う?



なお、売れっ子著者の結果としての原稿料の表はこの『一橋ビジネスレビュー』の最新号に拙稿が載っているので、ぜひご覧頂きたい。これ、この表が一番、反響あったなぁ。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年7月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。