杉田水脈をなぜ偽リベラルはそんなに怖れるのか?

八幡 和郎

杉田水脈氏(衆議院インターネット中継より:編集部)

『新潮45』誌上における杉田水脈代議士の発言に対する、足立康史代議士(維新)と井戸まさえ元代議士(立憲民主党)の強烈な一連の批判は、私を非常に戸惑わせるものだった。

なんとなれば、この三人は私の「Facebook友達」であり、私は彼ら三人をいずれも非常に高く評価してきたからだ。「Facebook友達」といっても、もともとよく知っている人もいるが、彼らはほとんどFacebookを通じて知り合ったに等しい。

足立氏ツイッターより

足立氏は通産省(現経産省)の後輩だが、私が海外勤務中の採用で、帰国して退官するまで4年しかなかったし、仕事を一緒にした記憶はない。井戸氏は夫君が友人なので芦屋竹園旅館での結婚式に出たがそれだけだったし、杉田氏とは、Facebookで意見交換するまで会ったことなかった。ただ、Facebookで三人とも非常に頻繁に意見を交換してきて、最良のFacebook友達の部類に属する。

なぜ、彼らがSNS上で素晴らしいかと言えば、対話が意味をなすからである。投稿に対してコメントがあり、それに再コメントがあり、第三者も含めて議論が発展していくのがSNS、とくに、Facebookの醍醐味である。

だから、いくら立派な投稿でも、そのあとの議論に本人が登場しないなら、ブログを読んでいるのと同じでしかない。しかし、彼らは、コメントに対して熱いやりとりをするから素晴らしいのである。

ただし、三人ともタイプが全く違う。

足立氏は官僚らしくロジカルに詰めて思考し結論を出すと、それについては、あまり意見を変えない。ただし、そのあとの、切り込み隊長として反対意見をばっさばっさと切り捨てるさまはまことに見事。江夏の剛速球を彷彿させるし、私の意見に賛同するときも、実に切れ味鋭く援護してくれる。

井戸氏ツイッターより

井戸氏は、松下政経塾のあと東洋経済新聞社で働いたので、丹念に事実や資料を拾い集め、あまり取り上げてこられなかったような問題に焦点を当て、ああでもないこうでもないと考えつつ緻密に積み上げていくし、反対意見にも適切に真摯に対応する。

それに対して杉田氏は、これは理不尽だとか感じるテーマに、損得抜きに突っ込んでいく。その原点は、西宮市役所に勤めて、「一般市民」と称する「プロ市民」などの我が儘な要求に事なかれ主義で抵抗せず要求をのんでしまう組織のふがいなさへの憤慨にあると思う。すでに、『NHK、朝日、文春が揃って杉田水脈の“人権蹂躙”』で紹介したが、市議会の傍聴席で騒いで圧力をかける極左の活動家との「とっくみあい寸前」の言い争いはいかにも義侠心あふれる正義感の彼女らしい。

杉田氏の思想を保守権力への迎合という人もいるが、正論を貫かず声が大きい一部の市民の不当な要求にすぐ屈してしまう権力への怒りなのだから、ある意味で権力にもっとも厳しく対決しているのである。それは、また、行政改革への強い情熱にもつながってくる。

ただ、高級官僚だった足立氏のように、これが正しいと納得の結論を出してから行動するのではないし、井戸氏のように、緻密に材料を集めていくのでもない。むしろ、無謀にも突撃スタイルでまず行動という形になる。
だから、国連など国際的な会議やイベントに出席して、慰安婦問題などでそんな得意でもない英語やフランス語で日本の立場を訴えたりもする。BBCの取材にほかの誰もいやがって引き受けない役割を引き受けて、伊藤詩織氏の訴えに無謀にも反論したりもした。

ただ、そこで思い込みだけで一方的な意見を言うのでなく、いろんな意見に対して率直に反応するし、固執するわけでない。私が感心したのは、昨年のフランス大統領選挙に、杉田氏が現地に飛んでルペン陣営などに突撃取材していたときである。

あのとき、保守論壇の人はだいたい、ルペンが勝つといっていた。トランプの場合と同じく、リベラル系(日本の偽リベラルでなく欧米のリベラル)のメディアが、ルペンを一方的に攻撃しているものの、有力候補として国民の多くから支持されていることに日本の保守主義者が興味をもち部分的に共感するまでは一理あった。

それに対して、私は思想的にも熱狂的にマクロン支持だったし、ルペンの勝利は絶望的にありえないことだという論陣を張ってFacebookでもいろんな人と議論をしていたが、だいたいの保守系論者はルペンの勝利間違いなしといって譲らなかった。そんななかで、杉田氏は現地にいって突撃で議論をし、フランス国民各層の人と議論して、ルペンの勝利はないと思うようになったというコメントをよこしてきた。

私が杉田氏を高く評価するようになったのは、こうした、現場主義と主義主張や損得にこだわらない柔軟な発想と現実性である。

その杉田氏を足立氏や井戸氏からすれば、もうちょっと考えてからものをいったり行動を起こせとか、突撃して肌で感じて意見変えるくらいなら、資料を体系的に集めたらということになるのだと思う。そういう意味で、彼らの杉田批判には一理はあると思う。

ただ、足立氏の『私が杉田水脈議員を執拗に攻撃する理由:与党のアホは万年野党の悪人よりたちが悪い』とか、井戸氏の『女としての落ち度〜「杉田水脈(的女性)論」序の序の序』といった大げさな見出しをみると、「杉田さんもずいぶん大物扱いされている、すごいなあ」という感想も持った。

もっとひどいのは、山口二郎氏で、

「オリンピックまでに杉田水脈を議員辞職させないと、日本は野蛮国と蔑まれることになる。これこそ日本の名誉にかかわる。愛国を呼号する者こそ、国辱。」(7月24日 17:47 · Twitter

ということになると、よほど文科省の科研費についての杉田氏の批判(巨額の国費が山口氏とその取り巻きの政治活動と区別が付きにくい研究に費やされているという指摘)が的をついて焦ってるのかと思い、

「あまたの保守派政治家のなかで、なんで杉田水脈が日本国の名誉にかかわるほどの存在だと山口二郎先生から認定されるかは科研費での研究対象にふさわしいものなのかもしれない。他の保守政治家はそれに値しないというのが山口先生の見立てなのだろうか(笑)」

とFacebookでコメントさせていただいたところだ。

実際、偽リベラル勢力は本当に杉田水脈を怖れているようだ。

どうしてなのかといえば、やはり、杉田氏のこれまでの政治家とは異質の突破力が怖いのだと思う。
あえていえば、杉田氏はアニメのヒロインのような人だ。実際、子供のときからアニメ・ファンらしく、Facebookなどでその手の話題も多いし、アニメのヒロインのようになりたいという願望があったのだろう。

また、1967年生まれの51歳で大学生の娘を持つ母親には少なくとも画像では見えないし、細面の小顔で肩幅が広いから石破茂氏と違ってコスプレ的な服装が似合う。HPにはアニメ風の似顔絵が載っているが本人のイメージとそんな離れていない。それでもって、あれこれ損得や、揚げ足とられることを怖がらずに攻撃してくるし、若い人に対するアピール力もあれば、普通の結婚をして子供もいて庶民的というのでは、警戒すべき存在なのだろうと思う。

しかし、その新しさは味方であるはずの伝統的な保守層にとって、とまどいと警戒の種にもなる。自民党のなかで、なんでも安倍首相に近い人物がたたかれていると嬉しくなって便乗する石破茂氏が、さっそく、攻撃の対象にしたのは、足立氏が『杉田氏「生産性」発言批判の総括:石破氏らの政局利用は最低だ』というアゴラの記事で批判したとおり、いじましい限りで器の大きさが問われるだけだが、本来、擁護しても良いはずのもっと保守的な人の中から、この際、叩いておこうという動きがあるのは「思慮深くて」本音を表現できずに、我慢している人たちの杉田氏への一種の嫉妬なのかもしれない。

いずれにしても、私は政治家も言論人も味方が少なそうな議論はするなとか、大人の判断をしろといった同調圧力に屈しない規格ハズレの人が好きだ。足立氏にしても、井戸氏にしても、杉田氏にしても、その持ち味を失って欲しくないし、そういう人が存在を許してこそ、日本という国も各政党も活力が保たれるのだと思う。

また、杉田氏の考え方は柔軟だから、これから、あまり政治的に声が大きくない特殊な悩みを抱えている人たちの良き理解者になるとも期待したい。

「立憲民主党」「朝日新聞」という名の偽リベラル
八幡 和郎
ワニブックス
2018-02-26