翁長知事死去:病死するまでトップでいることは美談ではない

2018年08月10日 19:00

死去の3か月前、安室奈美恵さんに県民栄誉賞を授与する翁長氏(沖縄県サイトより:編集部)

翁長知事の政策をどう評価するかは、さまざまな意見があるだろう。しかし、翁長氏の姿勢については、あまり感心したものでなかったし、マスコミの礼賛論は普遍的な評価にとうてい耐えないと思う。

まず、国や地方自治体であれ民間会社であれ、急病でなく癌のように徐々に進行するような病気の場合、病死するまでトップの座にいることは美談なのだろうか?

私は違うと思う。全国の歴代知事では、石川県の中西陽一知事のように31年間勤めて、最後は老衰で亡くなった方もいるがそのことを誉められているとは思わない。

翁長知事について、最後まで頑張ったと誉めるなら、それをもって一般論として正しいとその人は考えているのだろうか。

病気の人はどうしても判断力がにぶるし、体力気力も衰えているから間違った判断をしがちだ。その典型は第二次世界大戦のときのルーズベルト大統領で、ヤルタでスターリンに翻弄され、そのために、日本も世界も誠に不幸なことになった。

翁長氏が政府との間でみせた硬直的な姿勢は、やはり体調の悪さと無関係ではなかっただろう。

次ぎに、彼の政策への評価は人それぞれだろうが、信念の人だとか、あえて苦難の道を選んだ人というのはおかしい。

鳩山首相が安直に最低県外とか見通しもなくいったとき、仲井眞知事も翁長氏のような沖縄の自民党の政治家もそれを支持するしかなかった。日本の首相が沖縄から移転してくれるといってくれてるのだから、反対の理由はあまりない。

しかし、予想されていたこととはいえ、鳩山首相自身も含めて日本政府は辺野古移転に舞い戻った。そのとき、勇気を持って苦渋の現実的な判断に戻ったのが仲井眞知事で、ポピュリスト的に移転反対に拘泥し、それまでの政治信条をゴミ箱に棄てて、共産党とまで組んで知事になる野望を実現したのが、翁長氏だ。

誉めるなら政治的人間としてのマキャベリストぶりであって、信念をつらぬいたことではない。

元自衛官の奥茂治氏が、Facebookで紹介しているエピソードをいくつか上げておこう。

昭和59年(1984年)に自衛隊から防衛協会に青年部と婦人部を作るよう要望があり、翁長雄志と私(奥氏)が理事になり、その翌年彼は那覇市議会の議員に初当選した。

県議として県議会議場に日の丸を掲揚することを提案して実現させた。

平成12年(2000年)に市長となり、まずやった事は那覇市庁舎に日の丸を掲揚した事である。タブーとされていた自衛官の表敬を制服を着て来るように指示し市庁舎に制服で入出できるようになった。

市長として行事でのブルーインパルスの飛行を認めた。

翁長氏は、どこかで、政府との融和路線に転じて、二期目は保革相乗りになるのではないかという希望的観測もあった。しかし、いったん、共産党などのお世話になるとなかなか脱出は難しい。

就任早々に、菅長官や総理が会わなかったのが問題という人もいるが、翁長知事が会って当然、なぜ会わないという非常識な態度を取ったからに過ぎない。知事が大臣に会うのも普通でもそんな簡単ではないし、首相とは特別の場合だけだ。

仲井眞氏とはとくに苦労をかけているから特別に会っただけだし、会うとすれば、非公式とかいろんな方法はあった。しかし、翁長氏は政府を糾弾するパフォーマンスをマスコミの前ですることにこだわりなかなか実現しなかっただけだが、会わないといって執拗に首相を非難した。

そういうところは、革新知事だった大田昌秀氏の場合は、違った。それは、人間の器が大きかったということでもあるし、吉元政矩(副知事など)という名補佐役がいて野中広務官房長官などと信頼関係ができたたからでもある。

そんなこともあって、大田元知事は知事選挙のときにも、翁長氏に不信感をもち、下地幹郎氏を支持したくらいだった。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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