日本の「8月の平和論」が抱える2つの欠陥 --- 古森 義久

2018年08月15日 11:30

日本の8月には「平和」という言葉が繰り返し語られる。言うまでもなく、原爆の投下、そして終戦という記念日がいずれも8月だからだ。官民両方が主催するさまざまな集いで「平和」がいかに貴重であるかが語られ、戦争の惨禍が強調される。

「平和は大切です」「戦争はいけません」

こうした表現でくくられる日本の8月の平和の語りは「祈り」だともいえよう。日本国として今後の平和のあり方を論じる、というよりも、過去の平和の欠落、つまり戦争による犠牲者への鎮魂の表明である。「安らかに眠ってください」という言葉はまさに戦死者の霊への祈祷である。

しかし、この8月の平和の語らいを単なる祈りにとどめるべきではない。現在の日本が直面する現実を無視してはならないからだ。意地の悪い言い方をすれば、日本国内で日本人が集まり、ただ「平和、平和」と叫び続けても、日本の平和が実際に守られるわけではない。そもそも平和とは日本と外部世界との関係の状態である。日本がいくら平和を求めても、それを崩すのは日本の外の勢力なのである。

日本では語られない「平和の内容」

それを踏まえて日本の8月の平和論を考察すると、日本の平和を守るための現実的な議論として決定的に欠落している点が2つある。

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