カトリック教会は解体すべきだった

長谷川 良

米ペンシルベニア州のローマ・カトリック教会で300人以上の聖職者が過去70年間、1000人以上の未成年者に対し性的虐待を行っていたことが14日、州大陪審の報告書で明らかになった。バチカン・ニュースは15日、米教会の聖職者の性犯罪報道について、「深い悲しみだ」「ショックだ」「恥ずかしい」といった教会関係者の声を紹介している。

▲サン・ピエトロ大聖堂の頂点に雷が落下した瞬間(バチカン放送独語電子版から)

▲サン・ピエトロ大聖堂の頂点に雷が落下した瞬間(バチカン放送独語電子版から)

ペンシルベニア州教会の司教たち(8教区)は「犠牲者の深い痛みを感じる。その痛みが癒されることを願っている」という声明文を公表した。州大陪審は2年間余り調査を行い、900頁に及ぶ報告者をまとめた。報告書には、聖職者の性犯罪だけではなく、教会が性犯罪を犯した聖職者を組織的に隠蔽してきた事実も記述している。

アイルランド教会、ベルギー教会、ドイツ教会、オーストラリア教会など世界各地で2000年以降、カトリック教会の聖職者による未成年者への性的虐待が次から次と暴露されてきた。同時に、教会がその性犯罪を隠ぺいしていた事実が白日の下、明らかになってきた。

米ボストンのローマ・カトリック教会聖職者による未成年者性的虐待の実態を暴露した米紙ボストン・グローブの取材実話を描いた映画「スポットライト」(トム・マッカーシー監督)が第88回アカデミー賞作品賞、脚本賞を受賞したことはまだ記憶に新しい。

最近では、バチカン法王庁は6月、米国ワシントン大司教区の元責任者セオドア・マカリック枢機卿(Theodore McCarrick)の45年前の未成年者への性的虐待容疑に対し「信頼できるもので、実証に基づいた容疑」と判断し、今後の一切の聖職行使の停止を言い渡したばかりだ。また、豪メルボルンの裁判所はバチカン財務長官のジョージ・ペル枢機卿(76)を性犯罪容疑で正式に起訴。公判は今月13日始まったばかりだ。
(このコラム欄でカトリック教会の現状や動向について700本以上の記事を書いてきた。その中には聖職者による未成年者への性的犯罪に関する情報が少なからず含まれている。関心のある読者は再読してほしい)。

カトリック教会の聖職者による性犯罪件数は1万件をはるかに超えている。明らかになった件数は氷山の一角に過ぎず、実数はもっと多いだろう。

ローマ・カトリック教会総本山のバチカン法王庁は聖職者の性犯罪が明らかになる度に遺憾を表明し、犠牲者へ償いを申し出てきたが、聖職者の性犯罪は物品の不法売買などの経済犯罪とは異なり、犠牲者が生涯その痛みを癒すことができずに生きていかなければならない重犯罪だ。その犯罪行為を神の使いを自負する数万人の聖職者、教会関係者が犯してきたのだ。

結論を急ぐわけではないが、カトリック教会は久しく宗教団体ではなく、マフィアと同じ組織犯罪グループに分類される組織だ。バチカンと世界カトリック教会はこれまで享受してきた外交上の特権などを放棄し、迅速に解体すべきだ。

不思議に思うのは、これほど多くの性犯罪を世界各地で犯しながら、「バチカン解体論」や「カトリック教会閉鎖論」が飛び出してこないことだ。その理由について、当コラムで書いたが、組織犯罪グループに陥ってしまったカトリック教会が存続すれば、「悪魔」にとって都合がいいからだ。聖職者が性犯罪を犯す「教会の神」を誰が信じるだろうか。そのような教会から聖霊を感じる信者がいるだろうか。カトリック教会は人々を神から遠ざかせるために存続してきたのだ。厳しい批判だが、これは事実だ。ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」を思い出す読者もいるだろう。教会は悪魔と取引をしたのだ。

カトリック教会が過去、多くの義人、聖人を輩出してきたことは事実だ。それゆえに、教会はイエスの名をこれ以上汚さず、潔く迅速に解体すべきだ。

ところで、11世紀の預言者、聖マラキは、「全ての法王に関する大司教聖マラキの預言」の中で1143年に即位したローマ法王ケレスティヌス2世以降の112人(扱いによっては111人)のローマ法王を預言してきた。そしてドイツ人のベネディクト16世(在位2005年4月~13年2月)が最後のローマ法王となっている(「法王に関する『聖マラキの預言』」2013年2月23日参考)。

例えば、聖マラキは、第2バチカン公会議を提唱したヨハネ23世(在位1958年10月~63年6月)の即位について、「牧者にして船乗り」と預言した。ヨハネ23世は水の都ヴェネツィアの大司教だった。冷戦時代に活躍したポーランド出身のヨハネ・パウロ2世については、「太陽の働きによって」と預言した。同2世が生まれた時に日食が観測されたことから、預言は当たっていると受け取られた。ベネディクト16世の即位は、「オリーブの栄光」と預言された。べネディクト16世の名称はベネディクト会創設者の聖べネディクトから由来するが、同会はオリーブの枝をシンボルとすることで有名だ、といった具合だ。

ベネディクト16世の時代、聖職者の性犯罪が次々と暴露され、教会は大揺れになった。同16世がオーストラリア教会を訪問し、聖職者の性的虐待の犠牲者と会見した時、ベネディクト16世は泣き出したという。「聖マラキの預言」がベネディクト16世で終わっているのは決して偶然ではないだろう。

興味深い点は、聖マラキは南米出身のローマ法王フランシスコについて何も言及していないことだ。すなわち、カトリック教会は第265代ローマ法王ベネディクト16世で終わり、その後解体されるべきだったからではないか。換言すれば、カトリック教会の使命はベネディクト16世で終わり、新しい時代に踏み出すべき神の計画があったのではないか(「法王フランシスコの“予感”と使命」2015年3月16日参考)。

ちなみに、ベネディクト16世が2013年2月11日、生前退位を表明した直後、サン・ピエトロ大聖堂の頂点に雷が落ちた。イタリア通信ANSAの写真記者はその瞬間を撮影した。その写真を見た多くの信者たちは「神からの徴(しるし)」と受け取った。サン・ピエトロ大聖堂は使徒ペテロの墓所に建てられた聖堂だ。

「聖マラキの預言」から考えられるシナリオをまとめる。①世界に13億人以上の信者を有する世界最大のキリスト教会はベネディクト16世を最後のローマ法王としてその2000年の歴史を閉じるべきだった、②ペテロの後継者ローマ法王ベネディクト16世は2013年2月11日、突然、生前退位を表明した。理由は健康問題だったというが、近代法王の中で最高の神学者といわれるドイツ人法王はカトリック教会の歴史的使命が終わったことを悟ったのかもしれない(「ドイツ人法王が残した“大改革”」2013年2月19日参考)。

実際、ベネディクト16世は2012年末には退位を決意した様子が見られた。同16世に生前退位という歴史的な決意を促した出来事が12年に起きたのだろうか。その「何が」が分かれば、ベネディクト16世の生前退位の本当の理由ばかりか、「聖マラキの預言」がベネディクト16世で預言を終えた理由が明らかになってくるかもしれない。

「イエスの復活」後始まった新約時代は終わりを告げたが、新しい時代にバトンタッチすべき使命を果たせなかったカトリック教会は今日、聖職者の未成年者への性的虐待事件という不名誉な不祥事を抱え、喘いでいる。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年8月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。