安倍総理と「リベラル」―自衛隊を憲法に明記する意義―

2018年08月31日 11:30

総裁選で改めて安倍総理に注目が集まっているためだろうか。このところ、一気に安倍総理に関する書籍が出版されている。面白いのは、マスコミでは批判的に論じられる安倍総理を高く評価する、あるいは、高く評価するであろう(まだ発売されていない本もあるため)本が多い点である。

少なくとも三冊の本が8月から9月にかけて出版される。 

・阿比留瑠比『だから安倍晋三政権は強い』

・八幡和郎『「反安倍」という病』

・小川榮太郎『徹底検証 安倍政権の功罪』

興味があったので手始めに阿比留瑠比氏の『だから安倍晋三政権は強い』を読んでみた。産経新聞に連載された原稿が中心となっているが、今読んでみても古くない内容ばかりだ。

桜島をバックに総裁選への出馬を表明した安倍首相(NHKニュースより:編集部)

安倍総理を支持する内容ばかりではなく、逆に、反安倍を説く政党、マスコミ等々の論理がいかに薄弱であるかについても指摘されており面白い。

驚いたのが、最後のあとがきにかえてのところに拙著『「リベラル」という病』から日本型リベラルについて批判した部分が引用されていた。 

冒頭部分はこうだ。 

「政治記事を書くうえで、ずっと違和感を覚え、どうしてそう言うのか意味不明なので極力、使わないようにしてきた言葉がある。それは「リベラル」である。本来は「自由を重んじること」や「自由主義的な様」のことのはずだが、政界では明確に違う意味で使用されている。」

阿比留氏も「リベラル」という言葉が随分とおかしな意味で使用されていることに驚いていた一人のようだ。この違和感は大切だろう。

端的にいえば、「リベラル」というよりも、ただの「左翼」ではないか?との違和感だ。

そして、拙著から「リベラル」に対して「辛辣」とされる部分が引用されていた。

「日本でリベラルを自称する人たちには、顕著な特徴がある。それは、現実を見つめようとせず、愚かな観念論に固執することだ」

 「日本列島の中で『リベラル』たちは、他の世界のリベラルとは異なる独自の退化を続けた。(中略)特殊な退化を続ける日本の『リベラル』をガラパゴス左翼と呼ぶことにしたい」

拙著で繰り返し指摘したのは、憲法九条を守ることはリベラリズムとは何の関係もないということだ。九条を守っていれば平和がおとずれるというのは、政治思想というよりも一種の信仰に近い。何故なら、それは信者以外には理解不能な非論理的な教え、すなわち教義に他ならないからだ。

さて、今回の総裁選で安倍総理は自衛隊を合憲と位置付けたいとの思いを明らかにしている。

「現在、自衛隊が合憲である以上、無意味だ、無根拠だ」とわかったようなことをいう人がいるが、こういう人のわかったような論理に騙されてはいけない。憲法学者の多くは、自衛隊の存在そのものが違憲だと主張しているのだ。この部分から目を背けてはいけないのだ。

 国防のため、あるいは被災地で救援のために汗を流す自衛隊は日本国民の誇りだ。

ところが、共産党の政治家の中には、自衛隊の存在を敵視する人々が少なくない。

鴻巣市の共産党の市議らは自衛隊が参加するイベントに注文をつけ、イベントの中止に追いやった。「商業施設で子供たちに迷彩服を試着させるのは違和感がある」との市民の声が根拠という。まことに愚かしい話だ。仮にこの人たちが被災した時、迷彩服姿の隊員に救助してもらうのは違和感があるといって、救助を拒むのだろうか?

一度譲歩すると更に要求してくるのが共産党のようで、さらには、航空自衛隊機の航空ショーについて、「戦闘と切り離すことはできない」として中止を求めたという。こちらに関しては、良識ある市民がこのような要求を受け入れられないとしているようだが、こうした自衛隊を敵視する人々の根拠の一つに「自衛隊は違憲だ」という見解があることを忘れてはいけない。未だに共産党は自衛隊は違憲の存在だと解釈し続けている。

反自民のためであれば、こうした共産党とも協力を辞さないというのが立憲民主党だ。自衛隊を敵視する人々と連携する政党に国政を委ねられるはずがない。

自衛隊を憲法に明記するという安倍総理の判断は、我が国の政治状況を改善するための一歩だ。


編集部より:この記事は政治学者・岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2018年8月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。

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