なぜわたしは医療記事を書くのか 〜 医療と自己決定 〜

2018年09月28日 06:00

わたしは日々、放射線科医をしながら、メディアなどに医療についての記事を発信しています。「発信する医師」というのは、医師の世界ではごく一部で、ネットメディアに書いたりテレビに出たりと言った行為は(わたしはテレビに出たことはないですが)、日常診療を行う上から言うと、必ずしもメリットのある行為ではありませんし、誤解を受けるリスクもあるかもしれません。

それでもどうして伝えよう、と、思うのか考えてみると、「情報を発信することにより、読んでくださるみなさんの検査や治療における自己決定をお助けしたいなあ」と、日々考えているからです。医療者が発信する動機は人により様々ですが、「正しいことを伝えたい」ということをちらほら耳にします。これはまっとうなことで、「正しいこと」ほどちゃんと伝わりにくいため、手を変え品を変え、試行錯誤しながら日々記事を書くわけです。

しかしながら、個人的には、「正しいことを伝える」だけでは満足な記事とは言えないと思っています。悩んでいたり、迷っていたりする人には共感を示すことも必要です。さらに、それに加えて、もっと大切だと思われることがあります。

医療記事とは、正しいことを「与える」ためにあるのではなくて、患者さん(あるいはあなた)自身に病気や健康について考えるヒントを提供し、理解を助け、最終的な決定をお手伝いすることです。正確に知らなければ決定できませんし、理解する方法を知らなければ、やはり決めることはできません。検査や治療を受ける主役はやはり患者さん(あなた)であり、医療従事者ではありません。

また、「正しいこと」というのは、医療は科学ですので、大規模研究のデータが出る毎に刷新されていきます。今ある「正しいこと」が、5年後もそうである保証はなく、医療における「正しさ」とは、あくまで「暫定的な正しさ」にすぎません。こういった点も、わたしが、読者の方々に、単なる「正確な情報」以上のものを提供したいと思っている理由です。

研修医として病棟で働いた15年ほど前、最初に衝撃を受けたことは、どうやって人生の終末を過ごせばいいのかわからない方々があまりにも多かったことです。病院にいたいのかそれともいたくないのか、どこまで治療したいのか、多くは60歳を過ぎた人生の大先輩たちが、路頭に迷い、「先生におまかせします」あるいは、「家族の意思にまかせます」となって、自分が何を望んでいるかもわからなくなってしまう姿に、人生経験が未熟だったわたしはとりわけショックを受けました。

これは、「患者さんのケアをできていない医療側の責任」というわけでは必ずしもなかったでしょう。当時は「インフォームドコンセント」という言葉がしきりに言われ出した頃で、患者さんへの説明はそれなりに丁寧になされていました。ただ、情報の非対称性(医師側が持っている知識と患者側の知識の解離が大きく、コミュニケーションなどがうまくいかないこと)があまりにも大きく、患者側が正しい知識にアクセスする方法が非常に限られていました。

最近は、ネットの発達により、正しい知識にアクセスできる機会も増え(病名を入力すれば、すぐに厚生労働省や国立がん研究センターなどのサイトで詳細を知ることができます。多岐にわたる薬剤についても同様です)、医療以外の他の分野でも統計学などを駆使したデータをもとにした仕事が増えた背景もあり、患者さん側の医療リテラシーは少しずつあがり、治療法の選択に関して、十分理解された上で選択できる患者さんたちも増えてきているのではないでしょうか。

ただ、ネットには功罪があり、怪しい情報も氾濫しています。これらの情報を、いかに冷静に取捨選択するのか。わたしは、こういった部分も、お手伝いさせていただきたいと思っています。

また、「正しい情報を与える」ことよりも、「助言し、自己決定を支える」というスタンスをとるのは、日々、診療現場で、画像診断をし、主治医に治療方針決定の「ヒント」「アドバイス」をする仕事をしていることと無関係ではないかもしれません。

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松村 むつみ
放射線診断医、メディカルライター、アゴラ出版道場二期生

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