世代間格差は存在しないのか?

池田 信夫

安倍改造内閣の最大のテーマは「全世代型社会保障」だという。社会保障の負担増は政治的には不人気なので、安倍政権は消費税の増税を先送りして社会保障の赤字を国債で埋め、それを日銀が消化して負担を先送りしてきたが、それも限界が来たということだろう。

官邸サイト、アゴラ編集部撮影

「全世代型」と銘打つのは、今の社会保障が「老人型」だと認めているのだろうが、具体策として検討されているのは、65歳以上の雇用を義務づけるとか、年金受給開始年齢を70歳以上も選択可能にするという小手先の話だ。前者は雇用の硬直化をまねき、後者は支給額が増えるので負担軽減にはならない。

「老人型社会保障」を是正する出発点は、それによる世代間の不公平がどの程度あるのかを考えることだが、厚生労働省は世代間格差の存在を認めていない。将来世代は老人世代から遺産や社会資本を受け継ぎ、親を扶養する義務がなくなり、全体としては豊かになるので世代間格差は存在しない、というのが厚労省の論理である。

これは問題のすりかえである。社会全体が豊かになったのは社会保障のおかげではなく、経済成長のおかげだ。社会保障はその分配の問題である。ほんらい所得再分配は税の役割だが、そこに社会保障の負担が加わっていることが再分配の問題を複雑にし、大きな不公平を生んでいる。

所得再分配は納税者の同意を得て行うのが原則だが、社会保障の債務は意思表示できない将来世代も負担するので、最大の被害者はこれから生まれる世代だ。たとえば内閣府の論文でも、1950年生まれの人が1%の受給超過なのに対して、2015年生まれの人は13.2%の負担超過になる。生涯所得を3億円とすると、今のゼロ歳児は約4000万円の純負担を負うわけだ。

社会保障の生涯純受給率(鈴木亘氏などの計算)

この数字は厚労省の4.1%の運用利回りなどの条件による楽観的な計算で、ここには税負担は含まれないが、税を含めて現実的な条件で計算すると、60歳以上とゼロ歳児の生涯の純負担の差は約1億円というのが経済財政白書の数字である。

将来世代が絶対的に貧しくなるわけではないが、可処分所得は減るだろう。今の国民負担率(税・社会保険料)は40%程度だが、このまま負担が増えると2040年には60%を超える「大きな政府」になる。これも社会全体としては老人への所得移転だが、労働意欲や消費支出に悪い影響を与え、経済を停滞させるだろう。

世代間格差は、現在の社会保障を根本的に変えない限り大きく縮めることはできないが、今のままだと2030年代に年金積立金はゼロになり、2050年代には年金会計は800兆円の債務超過になる。年金保険料はこれ以上、引き上げることは困難なので、支給を削減せざるをえない。

むずかしいのは医療と介護だが、これは自己負担率を引き上げるしかない。後期高齢者の医療費3割負担は、最低でも必要だ。問題を先送りしていると、団塊の世代が後期高齢者になる「2025年問題」で医療が崩壊する。

社会保険料は税である。それを保険という名前で「見えない税」にしているため、消費税の増税を延期して社会保険料を引き上げる安倍政権のような目くらましが横行する。長期的には、社会保障も税とその還付に一本化することが望ましい。

もちろんそれは政治的に困難だが、「全世代型」をめざすというなら、まず世代間の負担の公平はどうなっているのか、議論してはどうだろうか。少なくとも世代間格差の存在を認めない厚労省の立場からは、全世代の公平な負担を求める制度設計は期待できない。