戦争責任:日本人の心情重視の百田氏と国益重視の私

2018年11月19日 17:00

太平洋戦争とそこに至る道については、百田尚樹氏がもっとも思い入れのあるところであるので、さすがに充実した内容になっていて、事実関係の把握なども良好である。いわゆる保守派の人の心情がほとばしり出ているが、軍部や官僚たちへの批判もきちんと書かれており、そういう意味でバランスが悪いものでない。いわゆる戦後史観的な教育を受けてきた人が、保守派の言い分も知りたいというなら好著だと思う。

百田氏ブログ、テレビ朝日より:編集部

しかし、やはり、国際政治を扱ってきた人間の立場からすれば、日本側の心情としてはよく分かるが、国際的な説得力があるかといえば、やや疑問である。というより、そういうことはめざしていないのだと思う。良くも悪くも、適正な反省はするが、先祖たちに誇りを持とうという、自己満足を得ることを主眼にしているように見受けられる。

私が書いた四部作である、「日本と世界がわかる  最強の日本史」「世界と日本がわかる  最強の世界史」「中国と日本がわかる  最強の中国史 」「韓国と日本がわかる  最強の韓国史」(いずれも扶桑社新書)は、日本人の立場からの歴史ではあるが、欧米人など第三者を説得できる歴史観の確立というのが主眼であるのと視点が違うのである。私はその追究こそが国益だと思っている。

その結果、私の歴史観のほうがかなりリベラルになっているが、これは思想的なものよりも、官僚としての戦略論と作家としての日本人としての気持ち重視の立場の違いからくるものなのかもしれない。

もう少し具体的に見ていこう。

百田氏の考え方は、戦争に至った原因については、日本に責められるべきところはあまりなくて、欧米の身勝手と中国のずるさが主たる原因である。しかし、日本の外交力とか作戦遂行能力には非常に問題が多く、そこでは軍部だけでなく外交官を含む官僚、さらには政治家やマスコミの責任も大きいと言ったあたりだろうか。一方、昭和天皇の責任の有無については、あまり論じていない。また、南京事件などについては、日本軍の暴虐については、強い否定論ではないが、日本軍の軍規全般は非常に良好だったという見解である。

日米が離れていったことについて、百田氏はアメリカ側の横暴により大きな原因を見出しているが、私の見解は以下のようなものでどちらにも原因があると考えている。

大正になって、中国での辛亥革命とアジア諸民族の覚醒、第一次世界大戦、アメリカの国力充実と日本移民排斥、日本での政党内閣の確立と薩長閥の衰退などいろんな動きが複合的に影響し合って、日米蜜月というわけにはいかなくなりました。

中華民国との関係について、百田氏は「満洲は中華民国のものか」として、満洲は「孫文の一方的な宣言」だけで中国の領土になったという認識で、さらに、チベットやウイグル、モンゴルについても同様だ。しかし、国際法的にそれは無理だ。孫文と袁世凱が取引して、清国の継承国家として中華民国を位置づけ、国際的な承認も得ているのだ。だから、満洲のことは、新たな独立運動であり、そこに、袁世凱が宣統帝溥儀に約束したことが守られなかったという特殊性が付加されるだけだ( ほかの地域も同じだが、チベットだけは特殊な宗教国家なので、一般的な国際法で割り切れないところがある。この点については「中国と日本がわかる 最強の中国史」で論じている)。
以上の点について、私は次のようにしている。

辛亥革命は、満州人が支配する満漢蒙の連合国家たる大清帝国を、漢民族が支配する中華民国に引き継がせました。孫文らは満州人の支配から脱したいと日本人から援助を請うていたのです。満州人は満州に帰り、モンゴルやチベットなどはそれぞれに独立するというのが筋のはずでした。

ところが、大清帝国の内閣総理大臣となった漢族軍人の袁世凱が裏取引で、満州人やモンゴル人の貴族の待遇を保証することと、皇帝溥儀が紫禁城に住み続けることと、歴代の御陵を守ること、自身の大総統就任などを条件に清の領土をそのままのかたちで、中華民国に移管してしまいました。

対華21か条については、当時の国際情勢における「普通の要求」としていて、袁世凱に騙されたとしているが、それは少し無理がある。日本が外交技術として幼稚だったという認識には賛成だが、その結果、失敗したら批判されるのは仕方ないことでほかに責任を押しつけるわけにはいかない。百田氏は、中国がずるかった、アメリカは日本を戦争に引きずり込んだという点を強調されるのだが、私は中国の外交の方が日本より一枚上手だったというだけだ。

また、百田氏は日中戦争に至る過程で、日本軍の行動にいろいろ理屈があることを強調されるが、私は、軍部の内部で統制がとれず、出先が勝手に戦線を拡大してドツボにはまったので、それぞれの行動に一理あったと主張しても甲斐ないことだという見解だ。

アメリカとの関係についての私の考え方は、以下の通りで、アメリカに引きずり込まれたという面があることは百田氏の意見を否定しないが、そのことが日本を正当化できる理由にはならないと思う。一般社会でも、挑発にのって暴力をふるった場合に挑発をせめるなんて情状酌量の理由にしかならない。

アメリカとの戦争に至る過程については、やはり、日本自身により大きな責任があると私は思います。日本が中国での権益維持拡張に欲張りすぎたのは確かですし、軍部内独走を許すようなことをしたのも日本自身の問題でした。

また、日独伊三国同盟を結んだ以上は、ルーズベルトがこの三国を一網打尽にしようとしたからといって非難もできませんし、日本にのみやすい和平案をアメリカが出してくれなかったとしても日本から文句を言う話ではありません。

アメリカが暗号を解読して真珠湾攻撃を知っていたにもかかわらずルーズベルトがわざと攻撃を実行させて被害を大きくして日本を非難しても、それは向こうの国内で非難されるかも知れませんが、日本側が論難することではありません。

しかし、逆にアメリカの側からみたとき、とくに、ルーズベルトが賢明だったかというとはなはだ疑問です。

百田氏は真珠湾の開戦について、追い詰められやむをえないものだったことを重視している。私もハル・ノート以降の状況における開戦はやむを得ない面もあったということは肯定しているが、本当に追い詰められたと言うより、日本がそこに活路を見出そうとしたことを重視して、次のように書いている。

一九四一年の一二月に日本が対米開戦を決意したのを、結果論からだけ馬鹿な間違いとするのは、偏った考え方です。日本が背後から攻めずとも、ドイツがソ連に負けるとは誰も予想していませんでしたし、イギリスがドイツに屈する可能性もありました。

また、サイパン陥落以降は、百田氏は国内の意思統一も含めてどっちにしても終戦は難しかったという立場だ。何が何でも早く終戦すべきだったというのが、私の主張で、次のようにしている。

第二次世界大戦の日本軍戦死者は二三〇万人、民間人死者は一〇〇万人ほどですが、民間人はほとんどが一九四五年になってからです。戦死者も、最後の一年で三分の二以上だったことは間違いありません。

もう半年、終戦が早かっただけで、沖縄戦も東京大空襲も原爆投下もソ連参戦もなかったのです。アメリカとの戦争について、公平に見ても、日本自身に相対的に大きな責任があることは否定できません。中国での権益維持拡張に欲張りすぎたのは確かですし、軍部内独走を許したのも国内問題です。

日本にのみやすい和平案をアメリカが出してくれなかった、アメリカが暗号を解読して真珠湾攻撃を知っていたにもかかわらずルーズベルトがわざと攻撃を実行させて被害を大きくしたというのも、日本側がいっても仕方ありません。

沖縄戦について、私は、終戦に向かっての意思決定の時間稼ぎのために沖縄が犠牲になったことを重視しているが、百田氏は沖縄防衛のために日本軍が全力をあげたという面を強調される。

終戦の原因について、私は原爆を重視しているが、百田氏は曖昧だ。原爆投下などについての非人道性に鑑みれば、原爆によって戦争が終わったとは認めるべきでないと考えておられるのでないかと勝手に推測する。

また、大東亜共栄圏の理想がアジアの独立のために役立ったことを百田氏は強調されるが、私は以下のように考えている。

第二次世界大戦の日本軍戦死者は二三〇万人、民間人死者は一〇〇万人ほどですが、民間人はほとんどが一九四五年になってからです。戦死者も、最後の一年で三分の二以上だったことは間違いありません。

もう半年、終戦が早かっただけで、沖縄戦も東京大空襲も原爆投下もソ連参戦もなかったのです。アメリカとの戦争について、公平に見ても、日本自身に相対的に大きな責任があることは否定できません。中国での権益維持拡張に欲張りすぎたのは確かですし、軍部内独走を許したのも国内問題です。

日本にのみやすい和平案をアメリカが出してくれなかった、アメリカが暗号を解読して真珠湾攻撃を知っていたにもかかわらずルーズベルトがわざと攻撃を実行させて被害を大きくしたというのも、日本側がいっても仕方ありません。

ただ、アメリカの側からみたときにも、賢明だったかというと疑問ですし、とくに、もっと寛大な条件を早く出せば、ソ連に漁夫の利を得させずに住んだと思いますが、そのあたりは、「世界と日本が分かる最強の世界史」で扱ったことなので詳しくは書きません。

日本国紀
百田 尚樹
幻冬舎
2018-11-12
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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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