強欲経営者、無法国家の時代に説く“思いやり”:『徳の起源』

大原 浩

カルロス・ゴーンの首切りされた従業員を踏み台にした強欲、そして日仏政府間のせめぎあい。さらに、朝鮮半島や中国大陸の国々の自称・徴用工問題などの理不尽な主張等など、現代社会を見渡すと日本的美徳ともされる「思いやり」など無意味では無いかとも思うときがある。

Wikipedia、韓国大統領府FBより=編集部

しかし、本書では「思いやり」こそが人類発展の原動力であり、人間の遺伝子の中に組み込まれているとする。

徳の起源―他人をおもいやる遺伝子
マット リドレー
翔泳社
2000-06

 

「利己的な遺伝子」(ドーキンスが主張するのと同じ意味)

私も含めた人類は「自分の利益を最大化するため」に行動する。これは決して間違いでは無い。実際、自然淘汰というのはそれぞれの個体(遺伝子)が自己利益を最大化する結果生じるものだ。

ところが、この自然界の「自分さえ良ければいい」という部分だけに着目し「合理的経済人」(という妄想)を産み出した既存の経済学がほとんど機能しないのも事実である。

本書は、「人間は自分のことだけを考える悪人なのか?それとも他人のことを常に気にかける善人なのか?」という古くて新しい課題=<性悪説 V..S.性善説>的な観点を踏まえて、人間の<徳>について論じている。

興味深いのは、著者が得意とする遺伝子的な観点からの考察。例えば同じ血縁集団の中であれば、自分が犠牲になって子供や兄弟姉妹などを助ける行動も理にかなっている。自分に近い遺伝子を後世に残せれば、<利己的な遺伝子>にとっては正しい選択なのだ。

ところが、血縁関係の薄い大きな集団ではこのような<利己的な遺伝子にとっては同じ結果になる>という論法は通用しない。

そこで著者がヒントとして提示するのが我々の「人体」。「人体」は驚くほど高度な組織(社会)なのだが、普段それを意識しない。

たった一つの受精卵から最終的には60兆個といわれる(諸説ある)膨大な数の細胞が生まれ、それぞれが与えられた役割を果たすことによって人体は機能するのである。細胞一つを一人の人間と考えれば、60兆人を統治する人体は恐ろしく高度なシステムだ。

現在70億人に及ぶ人類の一人一人は、それぞれに「利己的な個体」であることは言うまでも無い。その利己的な個体を統治して機能させるのが、国家をはじめとする組織なのだが、個体(個人)の利己的な動機に阻まれて、簡単にはいかない。

ところが、人体はけた違いの数の細胞の「利己的な動機」と直面しているにも関わらず上手にコントロールしている。

例えば、肝臓の細胞が「脳みその細胞の方が居心地がよさそうだから侵略しよう」と考えて、どんどん自己増殖を始め実際に脳に到達することは十分起こり得るのだ。典型的なのは我々が「癌」と呼ぶ現象である。

癌は、普通の細胞の必要以上の増殖を抑えるシステムが崩壊することによって生じる病気である。そしてそれは、理論的には健康な細胞でも起こりうる現象なのだ。

個々の細胞にとっては、「利己的な動機」から他の細胞の領地を奪った方が得なのだが、そんなことを許していたら「人体」という大事なよりどころが死を迎え、すべての細胞にとって不利益が生じる。そこで、細胞たちの<最大多数の最大幸福>を担うシステムが、極めて緻密な手法によって、人体の統治を行い、一つの細胞が必要以上に他の細胞の領域を侵食しないようにするのだ。

アダム・スミスが「道徳感情論」で唱える共感

本書でもたびたび登場するが、スミスが「道徳感情論」で延々と論じている他人の「共感」こそが、人間社会の個別の細胞(個人)が「自己利益の追求」のみならず、「公益(社会・組織)のための行動」を自然に行う理由である。

お互いに協力しあう集団の方が、内輪もめを繰り返している集団に勝つのが通例であることは容易に理解できるであろう。

すると、協力し合う集団に属する個体の方が将来に遺伝子を残しやすくなる。したがって、例えば現代人の大部分は協力し合う集団に属していた個体の遺伝子を受け継いでいるわけなのである。

特別な利益が無くても、人間が協力し合う傾向を持っているのは、ある意味進化的に形成された本能と言える。

そうはいっても、強力しあう集団の中で一人だけ裏切れば、大きな利益を得ることができるから、そのような遺伝子を完全に排除することはできない。

無法国家に極めて有効な「村八分戦略」

その欠点をカバーするために著者が注目するのは「囚人のジレンマゲーム」における必勝法の研究だ。ジレンマというくらいだから、簡単に必勝法は見つからないのだが、近年の研究では、このゲームを長期にわたって多人数で続けていくと<村八分戦略>が極めて有効なことがわかってきている。

現代社会で血を流す戦争の代わりに多用されている「経済制裁」は、まさにこの「村八分戦略の応用」であり、多くの効果を得ている。

つまり1回だけのゲームでは、裏切り者を排除できないが、複数回繰り返せばだれが裏切り者なのかわかってくるから、その裏切り者と誰もゲームを行わずに<村八分>にすればよいのだ。

国家間の取引において、トランプ大統領が北朝鮮に対して行った経済制裁や共産主義中国に仕掛けた貿易戦争(第2次冷戦)も、不当な行いをする国々は<村八分にするぞ!>という宣言なのである。

北朝鮮、韓国、共産主義中国などの無法国家が<村八分される痛み>を経験し、改心すれば世界はより良い方向に発展するであろう。

★本記事は人間経済科学研究所HP記載の書評に加筆・修正・編集したものです。

大原 浩(おおはら ひろし)国際投資アナリスト/人間経済科学研究所・執行パートナー
1960年静岡県生まれ。同志社大学法学部を卒業後、上田短資(上田ハーロー)に入社。外国為替、インターバンク資金取引などを担当。フランス国営・クレディ・リヨネ銀行に移り、金融先物・デリバティブ・オプションなど先端金融商品を扱う。1994年、大原創研を設立して独立。2018年、財務省OBの有地浩氏と人間経済科学研究所を創設。著書に『韓国企業はなぜ中国から夜逃げするのか』(講談社)、『銀座の投資家が「日本は大丈夫」と断言する理由』(PHP研究所)など。