太田房江は自民党だから維新の都構想に反対したのか?

太田 房江

大阪府の松井一郎知事と大阪市の吉村洋文市長が、公明党に対し、大阪都構想の住民投票の再実施のめどが立たない場合にそれぞれ任期途中に辞職し、府知事選と市長選を来年4月の統一地方選にぶつけて民意を問う意向を伝えたことを明らかにし、公明党との間で昨年、取り交わしていた「合意書」も公表しました。

クリスマスの3連休最終の24日に突然降ってわいたようなニュースにも見えますが、大阪の政界関係者の間では、「維新が勝負をかけてくるのではないか」という噂が、ここ数か月、流れていました。ただし、報道が半ば先行気味といいますか、維新による公明党への揺さぶりですので、本当にダブル選挙になるのか、引き続き事態を注視したいと思います。

しかし、年が明ければ、大阪都構想の是非を巡る論戦がさらに活発になりそうです。受けて立つ自民党としても出方が問われることになりますが、今回は、大阪府知事を二期務めた私自身と都構想のことでひとつ明確に言っておきたいことがあります。

写真AC:編集部

それは、2015年の住民投票の頃から、維新にネットなどで散々指摘されたことですが、

「太田房江は、知事時代には大阪都構想に賛成していたのに、なぜ自民党の参議院議員になったら維新の都構想に反対したのか?ただのご都合主義ではないのか?」

などという言説です。先に結論を申し上げると、意図的なのか誤解なのかわかりませんが、これは明らかにミスリードです。

まず、大阪府と大阪市の二重行政の非効率(府市合わせ)については、私自身が知事時代に身をもって思い知ったことから、府と市の合併を主張し、その後、大阪府として平成16年(2004年)に「大阪新都構想」を取りまとめた経緯があります。

「大阪新都構想」は平成15年(2003年)の中間報告から修正が加えられましたが、最終的には、政令市、市町村を基礎自治体(一階部分)とし、大阪新都機構を広域自治体(二階部分)とするもので、政令市においては地域自治区制度等を活用し、住民自治の拡充を図ろうというもので取りまとめられました。

この「大阪新都構想」は、維新が推進する大阪都構想と一見似ていますが、大きな違いがあります。

上の図解でご覧いただければわかりやすいですが、まず、維新版の都構想は、「器」としては一番左の東京都制度を参考にしています。つまり、いまの大阪市をなくして東京23区のように特別区の区長や区議会議員を住民が選ぶというものです。

これに対し、「大阪新都構想」は、政令市を残し、さらに政令市に設ける地域自治区の公選区長や区議会はありません。つまり、私が自民党に籍を置いているから維新の都構想に反対したなどというご都合主義では決してなく、あくまで、維新の考える都構想と考えが異なるから反対したわけです

制度上のテクニカルな詳細はまた別の機会に触れられればと思いますが、一例だけ挙げると、各特別区に公選区長や区議会を設置する維新版の都構想は、行政コストをむしろ増やす可能性もあるなどデメリットがあると考えます。

現在は「府市合わせ」の問題は大阪だけでなく全国でも認知され、合併をしなくても行政の非効率は改善されてきました。そのことはいまの大阪府政と大阪市政のご努力の成果ですが、都構想という大掛かりな再編を行い、大阪市を区に分割しなくても、やり方次第で効率的に都市経営ができることを示したとも言えます。さらに言えば国政と大阪府政、大阪市政が同じ土俵で目線を同じく連携できれば、よりスムーズに大阪の課題が解決できると考えております。

私の立場としては、万博開催が決まった今、大阪の政治的リソースは万博準備に集中すべきと考えます。維新の皆さまとは考え方が違いますが、大阪の将来を巡って政策論議が活発になっていくことで府民の皆さま、メディアの関心も高まり、大阪の民主主義のさらなる発展に繋げたいものです。

だからこそ、揚げ足取りではなく、ファクトに基づいた建設的な議論にしたいと思っています。

次回は、太田府政を巡るもうひとつのミスリードについて説明したいと思います。(続)


太田 房江(おおた ふさえ)参議院議員、自民党女性局長、元大阪府知事
1975年通産省(現・経済産業省)入省。2000年大阪府知事選で初当選し、日本初の女性知事に。2008年に知事退任後、民間企業勤務を経て、2013年参院選で初当選。厚生労働政務官などを歴任。公式サイトツイッター「@fusaeoota」