韓国に生まれて本当に良かったか

長谷川 良

自民党の中山泰秀議員(48)が13日の衆議院予算委員会で、韓国の文喜相国会議長の天皇閣下への謝罪要求発言に関する質問をし、「日本に生まれて本当に良かった」と話したという。この台詞だけを聞く限り、美しい表現であり、日本人の全ての国民がそのように言うことができれば幸せだろう。

▲歴史の「積弊清算」を推し進める文在寅大統領(韓国大統領府公式サイト、2019年1月24日)

▲歴史の「積弊清算」を推し進める文在寅大統領(韓国大統領府公式サイト、2019年1月24日)

韓国で中山議員の発言が物議を醸したのは、同議員の「韓国では政治家になって、まかりまちがって大統領にでもなったら、必ずその末路は、死刑か逮捕か自殺であり、常に裁判にかけられてしまう」といった趣旨の発言をしたからだ。

発言内容は正しいかもしれないが、日本人の政治家からそのようにいわれれば多くの韓国人は癪に障るだろう。「日本に生まれて本当に良かった」と感じる理由が、隣国の政治家のような悲惨な運命を避けられるからだ、という中山議員の説明を聞けば、名指しにされた国の国民が反発を感じるのは当然かもしれない。

発言内容が事実でなければ、「馬鹿なことを言っている」といって処理できるが、中山議員が指摘した「韓国大統領の運命」は残念ながら事実だから、余計に癪に障る。逆に言えば、韓国国民もその内容が事実だと感じている証拠だ。

韓国では2015年、若い世代の間で「ヘル朝鮮」という言葉が流行語になった。英語で地獄を意味するヘル(Hell)と朝鮮を組み合わせた造語で、韓国の若い世代が、受験戦争や高い若者失業率や自殺率など、韓国社会での生き辛さを「地獄のような朝鮮」と自嘲して表現したスラングだ。彼らの口から「韓国に生まれて本当に良かった」という言葉はあまり聞かない。

ヘルのような状況下に生きている国民に向かって、「君たちは大変だな。日本に生まれた僕は良かったよ」といえば、相手に喧嘩を吹っかけているようなものだ。

作詞:谷村新司、作曲:堀内孝雄のヒット曲「遠くで汽笛を聞きながら」の歌詞の中に、「何もいいことがなかった街」という個所がある。その歌詞を初めて聴いた時、「なんと寂しい表現だ」と感じたことを思い出す。普通、悪いことが多くあったとしても、いいこともあったはずだ。それが人生だろうと考えていた。朝鮮半島の国民はひょっとしたら例外で、「何もいいことがなかった国」なのだろうか。

朝鮮半島の歴史は悲惨なことが多かったし、終戦後、同胞民族間の戦いは朝鮮動乱が初めてではなかった。1948年4月3日、済州島(在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下)で島民の蜂起が発生。それを鎮圧するために韓国軍、韓国警察が動員され、済州島島民のほとんどが虐殺されたり、村を焼き尽くされた。左翼(共産)勢力摘発のため韓国軍は民間人も含め多く殺害した。逃れた済州島民は日本へ難民として密航し、在日朝鮮人として苦労しながら日本社会に定着していった。

韓国政府から迫害され、家族を殺された韓国人(特に済州島民)の中には激しい韓国政府への憎しみが生まれるなど、朝鮮半島では何度も同じ民族間の血が流されてきた。共産主義と民主主義 左と右が対峙する冷戦の真っ只中に置かれた民族の悲惨な歴史が繰り広げられていった。

外国勢力に侵略され続ける一方、民族を正しい方向に導くことができず、自身の名声と富だけを漁った民族指導者に対し、多くの国民は底なしの失望と憎悪が生まれた。長い間、韓国では両班(ヤンバン)政治が続いた。そのような社会では、母国を誇った中山議員のような発言をする政治家も出てこなかった。

さかのぼって、日本の植民統治時代では会社や学校、道路を建設したのは日本人だった。自国民族の統治者への無念さ、口惜しさがある一方、日本に対して愛憎が生まれてくる。一方、「主体思想」を国是とした独裁イデオロギーだが、民族の自立を叫ぶ北朝鮮(それが捏造であっても)に心が傾く韓国の知識人や政治家が現れても不思議ではない。

「積弊清算」とは、ヘル朝鮮を生み出した過去の政治指導者、統治者への怨恨から生まれた政治だ。韓国政府と軍部の大量殺害の事実を認め、済州島民に謝罪を表明したのは故盧武鉉大統領だった。その流れを組む文在寅大統領が歴史の積弊清算を政治課題に掲げたのも偶然ではない。韓国民族が「韓国に生まれて本当に良かった」と心から呟くことができなかった恨みが余りにも深いのだ。

「韓国に生まれて本当に良かった」と思う国民が少ない国だから、責任者が退陣すれば、追及が始まる。その結果、韓国の歴代大統領は常に厳しい余生を歩まざるを得なくなった。しかし、彼らは国民が選んだ大統領だから、その責任は国民にも跳ね返ってくる。だから、植民統治時代に教育や産業インフラを構築してくれた唯一の国・日本に対して「反日」を叫ぶことで“歪んだカタルシス”を感じてきたのかもしれない。なぜならば、「反日」では韓国国民は常に犠牲者としての立場を主張できるからだ。

韓国国民が「韓国に生まれて本当に良かった」と思える時代がいつ到来するだろうか。韓国の若者たちが「ヘル朝鮮」ではなく、世界に自慢したくなる祖国をどのようにして構築していくか、韓国の指導者と国民の大きな課題だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年2月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。