今こそ経済学ルネサンス:「国富論」に戻れ!

2019年02月19日 06:00

今こそ経済学ルネサンス

物理学と呼ぶべきものがギリシャ時代・ローマ時代に無かったわけでは無い。しかし、現代物理学の基礎を構築しその後の発展をもたらしたのが、サー・アイザック・ニュートンであることに異論はないであろう。

同じく「進化論」の礎を築き、「進化」という全く新しい概念(今では当たり前のことのように思われているが、キリスト教的世界観が根強く支配していた当時は、簡単に言えば「エデンの園を追われた人類はどんどん退化しているのだから、元の完全な状態に戻らなければならない」というような世界観が支配していた)を生み出したのが、チャールズ・ロバート・ダーウィンである。

アダム・スミス(1723〜90、Wikipedia:編集部)

同様に、ダーウィンよりもはるか前に、社会・経済を冷静かつ鋭い分析力で整理整頓し、体系化したのがアダム・スミスである。

スミスは人間の「進化論者」であり、「経済学の父」ともいうべき偉大な人物だ(本業は道徳哲学の教授であるから、まさに「一から独力ですべてを成し遂げた」わけである)。

アダム・スミスの「科学的手法」のベースは「豊富なデータ」と鋭い観察眼による「現地現物」という二つの要素にある。

まず、「豊富なデータ」という部分においては、この本が出版されたのが日本で言えば江戸時代の前半であるということを考慮しなければならない。

国富論が出版されたのが1776年(1789年の第5版が生前の最後の改訂版)。享保の改革で有名な第8代将軍徳川吉宗が没したのが1751年。安永5年(1776年)には平賀源内がエレキテルを発明し、独立戦争に勝利したアメリカの独立宣言も行われている。

このような時代に本書に収録されているようなデータを集めるというのは、当時の欧州が文化的・経済的に高度な発展を遂げていたと言っても、並大抵の努力ではできない。この豊富なデータの裏打ちによる分析が本書の説得力を高めている。

二つ目の「現地現物」は、トヨタ生産方式の根幹をなすものだが、「例え社長や役員であっても、本社に閉じこもっていないで、工場の現場や販売店で【現実】を見てから判断を下す」ということである。

本書でも、アダム・スミスの商売(ビジネス)、貿易どころか庶民の生活に至るまでの精通ぶりには驚かされる。象牙の塔に閉じこもらずに、庶民の中に飛び込んで色々と調べたのは事実のようであるし、そのおかげで本書でも【経済行動における人間の本質】が生き生きと描かれている。

マルクス経済学と近代経済学による暗黒時代からの脱出

(日本における) 江戸時代中期には、素晴らしい経済に関する理論体系が欧州で完成していたのに、その後250年経っても、経済理論は進化するどころかむしろ退化しているように見える。

その原因は、マルクス経済学と(いわゆる)近代経済学にあると言える。

マルクス経済学がすでに破たんしていることは、だれの目にも(一部の共産主義者は除く)あきらかなので、ここではあえて論じない。近代経済学の最大の過ちは数式で人間の営みを理解しようとしていることだ。

例えば「国富論」には、数式・方程式の類は一切出てこない。また、現代のビジネスにおける賢人の代表である、ピーター・F・ドラッカー、マイケル・E・ポーター、ウォーレン・E・バフェットたちの著作や発言に数式・方程式が出てくることもまず無い。

もちろん、経済の根幹を為すビジネスにおいて数式や方程式など全く必要が無いからだ。それなのに、経済学で数式・方程式をぶんぶん振り回すのは馬鹿げた行為である。

特にバフェットは「投資に必要なのは足し算、引き算、掛け算、割り算だけだ。もし、投資に高等数学が必要であれば私が成功することは無かっただろう」と述べている。投資家として成功しただけではなく、一代でバークシャーというGAFAに並び立つ企業帝国を築き上げた事業家でもある彼の言葉は重みがある。

また、経済は人間の営みであるという正しい認識を持てば、経済は「観察」によってしか理解できない、ということがはっきりわかる。

「動物学」の中でも、人間にもっとも近いサルの社会を理解するときに、数式や方程式を使うでだろうか?彼らの社会を理解するには、まず観察。そして可能な範囲での実験を繰り返す(念のため、物理学と違って全く同じ条件での再現実験は難しい)。彼らの社会を一発で解き明かす数式や方程式など存在しないのだ。

それなのに、サルよりもはるかに複雑で巨大な人間社会の営みである経済を(ニュートン力学や相対性理論のように)一発で謎を解き明かす方程式などありえない。

例えばロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)は、ロバート・マートンとマイロン・ショールズというノーベル経済学賞・受賞者をはじめとしてそうそうたるメンバーをそろえていたが、1998年に破たんした。

それでも、なぜいまだに経済学者が数式・方程式を振り回すのか?それは「お経は意味が分からなくて長いほど有り難い」のと同じだ。

まったく意味が分からないサンスクリット語(古代インドの言葉)のお経を聞かされても足がしびれるだけだが、意味が分からないからこそ、なんとなくお経を詠んでいるのが「徳の高い僧侶」のような気がする…

同様に、一般の人には良くわからない方程式を振りかざしていると、中身が無くてもなんとなく立派な学者に見えるというわけだ。

形だけのお経に振り回されてきた経済政策を、現実の経済をしっかりと見据えて立て直すべき時が来ていると思う。

★本記事は、人間経済科学研究所HP<参考書籍等紹介ページ>掲載の<国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)+(下)、アダム・スミス 日本経済新聞出版社>の書評(上下合わせて6000文字以上)を三分の一程度に圧縮して、加筆修正したものです。

こちらもぜひご参照ください。
国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)
国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(下)

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大原 浩
国際投資アナリスト/人間経済科学研究所・執行パートナー

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