沖縄に寄生する「断罪者」

2019年02月19日 06:00

「怒れる被害者」という奇妙な存在

日本型リベラルの特徴は物事を「加害者/被害者」の構図にあてはめ「被害者」に寄生して「加害者」との対決を煽ることである。利害関係者を「対話ではなく対決」させるのが日本型リベラルの基本思考である。

さて、2月24日に沖縄では米軍基地の辺野古移設を巡り県民投票が実施されるが、この問題でも日本型リベラルによる「加害者/被害者」の構図のあてはめが積極的に行われている。「本土は米軍基地を沖縄に押し付けた加害者であり、押し付けられた沖縄は被害者である」といった具合にである。

元山仁士郎氏ツイッターより:編集部

「加害者」「被害者」の用語が最も使用されるのは刑事司法の分野だが、その刑事司法の分野ではいわゆる「修復的司法」に基づき「加害者」と「被害者」の「和解」の議論が盛んである。個人レベルでの「加害者」と「被害者」の和解は議論されているのに何故、本土と沖縄ではこのような議論が出来ないのだろうか。

何故なら現在、沖縄で幅を効かせている「被害者」とは単なる「被害者」ではない。沖縄に居る「被害者」は怒っている。今回の県民投票を巡って元SEALsの元山仁士郎氏もハンガー・ストライキを通じて「怒り」を表現したことは記憶に新しい。

絶食3日目、若者が怒りのハンスト 沖縄県民投票めぐり:朝日新聞デジタル 

このように沖縄の米軍基地問題巡り出てくる「被害者」とは「怒れる被害者」である。
ネット上で注目されるのはこの「怒れる被害者」であり米軍基地(建設予定地も含む。以下、同じ)周辺で活動している者もそう呼んで差し支えないだろう。

しかし「怒れる被害者」とは実に奇妙な存在である。「被害者」は本来、怒れない。「被害者」は「加害者」への「憎悪」はあるが一方で「恐怖」で身心が掣肘されている存在でもある。だから「被害者」は怒って「加害者」を攻撃するほどの「力」はない。「加害者」を攻撃するほどの「力」があればそもそも「被害者」にはならない。だから「怒れる被害者」は本来、成立しない存在なのである。

沖縄に居るこの「怒れる被害者」の正体は実のところ「加害者」たる米軍・本土から直接的被害を受けていない、あるいは受けていても受忍可能な程度の被害を受けている者に過ぎない。だから「怒れる」のである。

そして米軍基地周辺で活動している「怒れる被害者」に対しては「本土出身者」という疑念が持たれている。

この「怒れる被害者」が沖縄の米軍基地論議のみならず沖縄県政も混乱させている。「怒れる被害者」は「対決」しか志向せず驚くほど不毛な存在である。
だから「怒れる被害者」は「被害者」の一形態ではなく「被害者」に寄生する者に過ぎない。
そしてこの寄生者は加害者を「断罪」することに熱心だから「断罪者」と呼んだほうが正確である。

「正視に耐えない」断罪者

ネット上では時折、米軍基地周辺で抗議活動を行う者達の動画が紹介される。

これはほとんど全部、基地賛成派によるものだから差し引いて見なくてはならないが、そうだとしても動画に映し出される「活動家」はまさに「正視に耐えない」ものである。何故この程度の人間が我が者顔で活動しているのか不思議でならない。大衆的支持の獲得にも繋がらないだろう。

沖縄で実践されている「加害者/被害者」の構図のあてはめは率直に言って運動として容易であり参加の敷居は極めて低い。だから「正視に耐えない」者も参加してしまうのだろう。「本土は加害者だ」「米軍基地を押し付けられた沖縄は被害者だ」の類の意見はそんなに凄いことなのだろうか。

実際、沖縄世論もそう単純ではなく昨年の9月に実施された沖縄県知事選挙の玉城デニー氏とささま敦氏の得票数の比率は55:44であり(1)必ずしも基地反対一色に染まっているわけではない。

反基地運動が盛り上がり沖縄から米軍基地が撤去されたところで、では中国海軍の海洋進出はどうするのか。中国海軍は米軍より寛容とでも本気で思っているのだろうか。そうだとしたら大変なことである。

沖縄で活動する断罪者の関心は沖縄の平和でも自立でもアイデンティティーの確立でもなく自分自身である。彼(女)らは最近、民事訴訟を起こされた杉田水脈衆議院議員の言葉を借りればまさに「生産性がない」存在であり「断罪」を通じて自己正当化を図っているに過ぎない。

沖縄に寄生する断罪者は戦後日本の思想的風潮の結果であることは間違いない。戦後日本では極めて安易に「反権力」が唱えられ、根拠なく日米安保体制を批判することが「知的」と思われた。この文脈で「対決」「抵抗」が極限まで称揚され遂には断罪者を生み出したのである。

県庁占拠→独立宣言→中国承認?

筆者が注目しているのは拙稿「ジャーナリズム改革は国民の権利である」でも触れたように昨年の沖縄県知事選挙でリベラル系ジャーナリズムは「数字の評価を歪める」という手法を採ったことである。得票率55%は「圧勝」ではない。対立候補が44%も取ったのならばむしろ「沖縄の民意は多様である」とし「対話」に入るはずである。ところが「対話」に入る気配は全くなく「圧勝」ばかりが強調されている。

沖縄の米軍基地問題ではリベラル系ジャーナリズムはまさに「事実を報道せず創ろう」としている。言うまでもなくリベラル系ジャーナリズムもまた断罪者である。

このように断罪者は「断罪」のためならば手段を択ばない。断罪者は「被害者」の鎧を着て一方的な主張を行うだけである。
沖縄で断罪者の跋扈を許した先には何があるだろうか。仮に米軍基地が撤去されても「平和」は訪れまい。中国海軍の海洋進出が激化し最終的には沖縄本島も進出の射程に入るだろう。

要するに中国共産党は今以上に増長し恫喝してくるのである。少し想像を膨らませるならば米軍基地撤去後に断罪者が集団で沖縄県庁を占拠し「独立宣言」でもすれば中国共産党はこれを直ちに「承認」するのではないだろうか。

この想像は荒唐無稽だろうか。昨年の9月までこの日本で「選挙結果の数字の評価を歪める」ことが起きるなんて誰が想像できただろうか。だから「断罪者による県庁占拠→独立宣言→中国承認」程度の想像は許されよう。

「本土並み」の治安を確保し「対決」ではなく「対話」を

沖縄で「被害者」の鎧を着る断罪者への対応策はないだろうか。対処療法としては沖縄で断罪者が跋扈できない体制の構築であり、要は治安体制の充実である。

例えば集会・集団行動に対して多数の地方自治体はいわゆる「公安条例」を定め一定の秩序を求めている。
ところが管見の限り沖縄では公安条例は制定されていない。沖縄で断罪者が跋扈している理由はこの辺りはではないか。
もちろん公安条例は集会・集団行動の事前届出を定めたものに過ぎないが、集会・集団行動の情報が実施前にわかれば警察も警備を円滑にできるはずである。

筆者は安易に身体の自由を「規制」することには反対する立場だが「本土並み」の「規制」は許されよう。本土で運用できて沖縄で運用できないという理由はない。このことから沖縄での公安条例の制定は積極的に検討されるべきである。

また公安条例を制定したとしても十分な現場執行力がなければまさに「絵に描いた餅」になるから警察官数の充実も常に意識すべきである。現在、本土から機動隊が派遣されているが本当に充分なのか常に検証しなければならない。
そして根本治療としてはジャーナリズムの正常化である。このことについては既に筆者は記した

そして最後に断罪者に「対案」を粘り強く求め続けることだろう。これが最も重要である。
論を整理すれば今、沖縄に求められるのは「本土並み」の治安体制と公正・公平な報道に基づき「対案」を提示しあう「対話」である。満点の解決案は直ちには出て来ないだろう。しかし何点であれ「対話」を積み重ねていくことで満点に近づくはずである。「平和」とは「対話」の先にある。

重要なのは「対決」ではなく「対話」に思考を切り替えることである。

脚注
(1) 沖縄県選挙管理委員会より引用
有効投票数 720,210 得票数 玉城デニー 396,632 ささま敦 316,458

高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員

【編集部からおしらせ】沖縄基地問題に関する原稿を募集中です

玉城知事(沖縄県サイト)

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