新元号「令和」の出典に関する無意味な議論

加藤 隆則

4月1日に発表された日本の新元号「令和」について、中国では出典をめぐる議論がかまびすしい。私のところに転送される意見の大半は、もともとは中国のものではないのか、という疑問に関するものだ。日本でもこうした議論が報じられたが、中でも『環球時報』が公表直後にネット配信したニュースが目を引き、多く引用された。

「日本の新年号“令和” 中国の痕跡は消しようがない」という見出しが刺激的だったこともあるだろう。同メディアはもともと民族主義的論調を売りにしているので、いつものことながら中国を主にして見出しをつける。それ自体はどうでもいいのだが、記事に私のコメントが引用されていて、各方面から問い合わせを受けた。

私の同紙記者に話したとされるコメント部分は、『万葉集』梅花の歌の序文が漢文によって書かれ、かつ当時、梅を詠んだ歌には中国の審美観が反映されている一方、「和」は日本の感性を代表するものなので、「日中融合」の意味合いを含むと指摘したものだ。正確に言うと、私が微信(We-Chat)で年号の感想を書いたものを知り合いの同紙記者が見つけ、引用を求めてきたので了解した。実際に取材を受けたわけではない。

中国のネットでは、後漢の文人、張衡の詩『帰田賦』に「仲春令月、時和気清」とあるのを根拠に、「令和」の出典は万葉集でなく、やはり中国古典だいう主張が幅を利かせている。当時、『日本書紀』が中国の歴史書を引用して天地の成り立ちを記したように、漢字を借りざるを得なかった日本人が、文章表現までまねたのはごく自然なことである。だからどちらが先かと言われれば、漢籍が先に決まっている。漢字自体が借り物なのだから。

それでもやはり、『帰田賦』あるいは同作品を収めた詩文集『文選(もんぜん)』からの引用とせず、あえて『万葉集』からとしたことの意味は大きいと考える。つまり中国の詩文を受け入れた万葉人の心がそこに介在しているのである。厳格な初出論が大切なのではなく、万葉人が苦心の末に選んだ漢文を、現代の日本人が受け継いだという点にこそ意義がある。

別の例をあげれば、日本の文人は中唐の詩人、白楽天を重んじ、白氏文集を詩文作文の模範とした。白楽天自身は、天下国家を論ずる風諭詩を自らの代表作と考えたが、日本人が受け入れたのはむしろ平易な表現で、花鳥風月をめでる閑適詩だった。異文化のものであろうと、そのどれを、どのように受け入れるかという点においては、独自の文化が介在する。

かなによってきめ細かい感情を表すのには、なお『古今和歌集』の誕生を待たなければならなかったが、万葉人は漢字の音を頼りにした万葉仮名によって、少しずつではあるが、大和心を表現するすべを探った。まだ途上であるがゆえに、手本を必要とした。それは優れた文化を受け入れる、素直で、寛容な心なのではないか。そんな素朴さが「令和」に含まれていると考えることは、出典を詮索するよりもはるかに尊い。ことさら自分たちの文化だと意地を張る必要もない。そもそも文化とはもっと雑で、多様なものだ。

周囲の学生たちにはそう話し、多くの共感を得られている。それだけをもってしても、漢字を用いた日本の元号、そして「令和」の誕生は意味があると思える。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2019年4月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。