雅子妃たたきから秋篠宮家攻撃へシフトの裏側

2019年04月11日 16:01

ここへ来てマスコミの秋篠宮家たたきが燃え上がっている。週刊新潮 4月18日号 (4月11日発売)のトップ記事は、『「秋篠宮家」が「私」を優先して「愛子天皇」』と激しい。

週刊新潮4月18日号中吊りより:編集部

さすがにこれはおかしいと思う。秋篠宮家に問題があるとしても、悠仁親王自身のことではないのだから、その皇位継承権を論じる理由にはならない。せいぜい、秋篠宮殿下の皇嗣としての立場とか、悠仁さまの教育についての議論にとどめるべきだ。

しかし、このあいだまで、雅子さまや東宮家へのバッシング一色だったのがどうして逆転したのか。その背景について考えてみよう。

日本ではまだまだ皇室に対する批判はある種のタブーであって、それをするのは勇気がいることだ。雅子さまへの批判にしても、眞子さまの問題にしても、基本的な場は週刊誌とネットであって、テレビや新聞は沈黙したままだ。最近になって小室氏の問題については論じるようになったが、これは皇族ではないし、婚約者としての立場も危うくなっているので踏み切ったといったところだ。

そして、週刊誌だが、これも、おそるおそるでへっぴり腰だ。常にカウンターをおそれている。だから、書いてもたたかれないと自信がないと書かない。ただ、困ったものなのは、大丈夫かどうかの判断は、あとからみんなついてくるかどうかであることが多い。

宮内庁サイトより:編集部

つまり、みんなで渡れば怖くないということだ。だから、まず、弁解の余地がほとんどない小室氏については、安心してたたける。しかし、いかにも内気そうに見える眞子さまには「目を覚まして」的な論調にとどまる(私は26歳の大人の女性に対してかえって失礼だと思うが)。一方、美人で勝ち気な佳子さまのほうは、たたきやすい。

一方、両派に分かれてと言うこともある。ライバル意識とか好き嫌いもあるが、実のところ、皇族自身やそれに近い人が特定の記者をスポークスマン的に使っていることも多いし、それに反発するライバル社はその皇族の批判にまわることになる。

それでは、書かれていることが本当かといえば、週刊誌記事の通常のレベルからしたら慎重だし、そこにもられた感情や推測をべつにすれば事実の指摘はそんな事実無根でもないのが通例だ。そして、また、皇族方も週刊誌で報じられた内容はよく把握されている。 というよりは、皇族の方々でもほかに情報源がないのである。外国なら情報機関が集めた情報を女王などにも報告しているが、戦後の日本ではそういうことは聞かないから、情報不足に陥っておられるからだ。

そして、いまの状況をどう考えるかだが、マスコミは皇室報道については一定の自制は必要である一方でアンタッチャブルであってはよくないということと、上げたり下げたり極端なのはよくないと思う。

むしろ、敬意を持ちつつ、これは問題でないかとか議論すべきなら、もっと普通に報道すべきだ。

自制すべきだとというのは、やはり国の象徴なのであるから、それなりの敬意をもって言及すべきだ(それは皇室以外の権威とか価値観に対しても同様だが)。

しかし、アンタッチャブルである必要はない。その理由は、批判が許されなければ腐るからだ。いや、皇室の内部や政府がしっかり対応しているから大丈夫という人もいるだろうが、そんな実態はないことは小室圭氏の騒動でよくわかったはずだ。

あれだけ、問題がある人物との婚約の約束に至るまでに、皇族も宮内庁も政府も無為無策で止められなかったのである。私が早くから問題点指摘をアゴラでしていたときにも、「相手としてまずければ、宮内庁や警察で情報を殿下に上げて対処しておられるのだから余計なことをいわないほうがいい」という人がいたが、そんな対処などしていないことを私は知っているから放っておけなかったのだし、週刊誌の記者たちもそうだった。

現状では、見るに見かねた週刊誌が報じない限りはどんな間違ったことでもそのまま進んでしまうのが現状だ。ある意味において、皇族方がどこまでネットをごらんになっているかは未知数だが、少なくとも週刊誌こそが皇族にとっても頼りなのである。

上げたり下げたりが極端だというのは、やはり、あまりにも批判することが難しいことの裏返しである。

あまりにもひどいと批判される側になるまでは、常によいしょ記事しか出ない。そこで、ご本人たちも舞い上がってしまうし、国民も虚像をつくってちょっと考えればおかしい話を信じてしまう。

もっとも、逆に噂話として「実は誰それは…」という話がまことしやかに流れるそして、みんなで渡ればこわくないとなれば、いっせいに襲いかかる。

宮内庁サイトより:編集部

秋篠宮家の問題は多分にスタッフや予算の不足に起因する。将来の天皇となるべき悠仁さまを抱えているのにそれにふさわしい予算も人もいない。その厳しい状況のなかでブラック職場といわれるような状況が生じたり、眞子さま、佳子さまへ両殿下が必要なフォローをされることが手薄になっていたと見受けられる。

もうひとつは、秋篠宮家への批判には、実は両陛下への批判が隠されている一面もある。それができないからかわりに秋篠宮家が標的にされているということだ。平成の世の後半における両陛下へのよいしょぶりはある意味で危険である。

たとえば、皇統断絶の危機とか雅子さまや眞子さまをめぐって起きている様々な状況を考えれば、手放しで賞賛できる状況であるはずがない。皇族の統制は両陛下の最も大事な仕事の一つである。象徴天皇制のあり方という観点からも議論すべき問題も多々ある。

また、現在の両陛下のスタイルが普遍的な価値に基づく正しいものとすれば、たちまち、それとは違う昭和の時代の批判になるし、皇太子ご夫妻にまねができるものでないから、それへの批判の種になるだろう。それは不幸なことだ。

さらに、一時期は厳しかった東宮家への批判は瞬間風速としてはやわらいでいる。ご祝儀ムードもあるし、さしあたって雅子妃の体調も以前よりは改善しているということもあるし、秋篠宮家の問題が大きくなっていることとの相対評価の改善もある。また、いささか皇太子妃の実家としての自覚に不足すると批判されていた小和田家が高齢がゆえに目立たなくなったことも寄与している。

そして、新しい両陛下の時代に迎合しようという意図も感じられる。しかし、雅子妃が皇后陛下としてのつとめを不満足な水準でしか果たせないことは間違いないし、愛子さまが神童でしっかりしているとかいうなど虚像であって、ご本人にとって迷惑なことだろう。

願わくば、ヨーロッパでのように、十分な敬意を持って、しかし、アンタッチャブルにせず、虚像もつくらずどうあるべきかは議論されるべきという方向をめざすべきであると私は信じる。

追伸:ロイターの記事によるとメーガン妃と英国マスコミの蜜月に暗雲だそうだ。もともと、長続きするはずなし。ネタを提供してくれるからおだてていただけだ。キャサリン妃にしてもケンブリッジ公爵夫人くらいだからもっているのであって皇太子妃や王妃の重責をこなしていけるような人物とは見えない。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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