暴走老人に対する抑止力の確保は、日本の国益

篠田 英朗

池袋高齢者暴走事件について二度ほど記事を書いた。その後も高齢者の運転事故が起こっている。前回も書いたが、80歳以上の高齢者による死亡事故は、75歳未満の約3倍だという。さらに高齢者人口は絶対数も比率は高まり続けている。3倍の危険性を持つ85歳以上の人口が、過去20年弱の間にすでに2倍以上になってしまっており、その数は将来的にさらに倍増する勢いで増えていく。その一方、若者の人口は減少し続け、若者一人当たりの老人数はさらに一層の拡大をし続ける。

写真AC:編集部

このような未曽有の少子高齢化社会を迎える日本にとって、高齢者暴走問題は、一つの深刻な社会問題である。「地方部で車がないと買い物できない老人がいるので、池袋で87歳の元高級官僚が親子をひき殺しても仕方がない」と言えるような問題ではない。多数決では問題解決できない。政治の問題としてとらえていく必要がある問題だ。

地方部での買い物に車が必要、といった議論が根強い。しかし高齢者ドライバーが多いから、そのような状態が続くのだ。高齢者ドライバーを減らし、高齢者が車両維持にあてていた資産を、すべて宅配(含むドローン宅配)の注文に回させないから、いつまでもこんな状況が続く。政治家は、社会政策に根差した考え方をとらなければならない。

高齢者ドライバーを減らし、日常品の遠隔宅配サービスを、推進する、そういう社会政策論に根差した見解を、政治家が持つべきだ。そのうえで、自動車業界には、自動運転車限定免許を導入するための下地作りを急いでもらえばいい。

それにしても的外れなのは、高齢者は生活が不便なままの状態に置かれているので、池袋で死亡事故を起こした87歳の高齢者を責めるべきではない、といったそれっぽい識者の間の議論だ。

池袋事故から1週間、処罰求める署名サイトも…乙武氏「運転していた方に怒りをぶつけるのがベストではないのでは」(AbemaTIMES)

罪をしっかりと償ってもらう結果を作らなければ、未曽有の少子高齢化社会に突入している日本社会に、深刻な悪影響が及ぶ。個人を責めるのはよくない、と言った論調が識者の間で流通しすぎるのは、危険だ。

もともと刑事罰は、交通犯罪も含めて、社会政策の一環として、抑止効果を狙って作られている制度だ。殺人者をとがめても、殺された者が戻ってくるわけではない。しかし殺人者に厳罰を下さなければ、次々と模倣者が現れてしまうので、重大犯罪には厳罰を下す。民事上の損害賠償にも、同じような社会政策上の措置があることは、言うまでもない。

重大事件を犯した者が、免責されてしまえば、社会政策としての抑止効果が保てない。未曽有の少子高齢化社会を迎える日本にとって、高齢者にどのような抑止力を働かせていくかは、国益にかかわる重大問題だ。

全てのドライバーに抑止力を働かせて、危険回避を自己の利益に沿うと感じさせるためには、それに十分な刑事罰と民事上の損害賠償が高齢者にも課せられなければならない。

ところがそれが難しいので、高齢者暴走問題が、深刻な社会問題になっている。

刑事裁判で懲役刑を科しても刑期を全うせず他界する可能性が高い。そもそも刑事裁判の判決が寿命に間に合わないかもしれない。

より深刻なのは民事訴訟だ。普通であれば重大交通事故は、「一生涯かけて償う」姿勢を損害賠償で示す。ところがすでに定年退職しているだけでなく、将来にわたって収入のある職業に就く可能性がない。そこで未来ではなく、過去の資産を差し押さえるなければ、高齢者に対する抑止力が全く働かない。ところが民事訴訟の場合も、決定が寿命の限界に追いつかない可能性が高い。そうなると相続人に対して損害賠償請求することになるが、相続放棄されたら、損害賠償請求できない。

つまり高齢者に対する抑止力の確保には、非常に大きな制約がかかっている。もし抑止効果を狙う社会政策の効果が高いと仮定すると、その効果が低い高齢者のドライバーの危険性の意味がよくわかってくる。85歳以上のドライバーの危険度が高いのは、認知度、身体能力の低下だけでなく、社会政策上の抑止力の低下が原因になっている可能性すらある。

現在、87歳の池袋暴走者が逮捕されていないのは、入院しており、証拠隠滅の可能性がないからだという。高齢者特有の事情を考慮に入れていない官僚的な対応だと思う。たとえば、資産防衛をしていないか、チェックが必要だ。後で事故被害者の弁護人が検証できる仕組みが必要だ。

相続人に対して「生前贈与」をする場合、夫婦間の不動産贈与で2000万円、住宅取得資金贈与の特例で1200万円、年間基礎控除110万円がある。そもそも課税対象になっても、損害賠償による差し押さえが確実な場合には、税金を払ってでも生前贈与をすることに私的利益上の合理性が発生する。

もちろん、事故被害者は、詐害行為取消権で生前贈与の取り消しを求めて対抗することができる。だが、資産運用に慣れた加害者の場合、資産の第三者を介した売却・贈与など、被害者の対抗措置の裏をかく方法や手段を追求しないとも限らない。少なくとも調査から査定に加えて、法的対応で、被害者側に不要な多大な負担がかかるのは不当だ。

逮捕しないというのであれば、証拠隠滅の恐れがないことだけでなく、不動産・株式資産等の相続や現金化の恐れがないかも確証するべきだ。できれば資産運用を差し止める措置を即時にとりたい。

暴走老人に、どのような抑止力を働かせるかは、少子高齢化社会においてもなお、未来ある子どもを守り、将来の日本の活力を保つという国益がかかった問題である。少なくとも政治家には、そのような認識をしっかり持ってもらいたい。

篠田 英朗(しのだ  ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、ロンドン大学で国際関係学Ph.D.取得。広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、現職。著書に『ほんとうの憲法』(ちくま新書)『集団的自衛権の思想史』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)など。篠田英朗の研究室