百田氏、香山氏講演中止に思う「民主的な議論」のあり方 --- 丸山 貴大

2019年06月13日 06:00

2017年6月、一橋大学の大学祭に百田尚樹氏が招かれ、講演会を行う企画が計画されたことがあった。しかし、抗議が殺到したため、講演会は中止となった。また、2018年11月、香山リカ氏の講演会も同様の形で中止となったことがある。このように、民主主義のダイナミズムを形成する礎たる表現の自由が不寛容な精神により、葬りさられる事態が発生している。

香山氏(ツイッター)、百田氏(Wikipedia):編集部

2019年4月11日付『朝日新聞』社説「自由な言論 守り続ける覚悟を」では、「民主主義の基盤を傷つける出来事」の一つとして、先に示した香山リカ氏の事案を取り上げている。そして「自由に考え、自由にものを言う。そんな当たり前の行為が、不当に制限されることがあってはなら」ず「恐怖が萎縮を生む悪い連鎖の中で、言論の場が狭まることを危惧する」と論じている。

社説において「憲法が保障する表現の自由は、個人の尊厳を傷つけないことが前提であることを、確認しておきたい」と述べたように、無論、表現の自由は零であり無ではない。つまり、何を言っても良いと言うわけではない。そこに、差別、侮辱、憎悪、脅迫等の表現があるならば、それは権利の濫用であり、公共の福祉に照らし合わせて規制されることが望ましい。

そのような観点から、先の百田氏の講演会に対して批判が殺到したのかもしれない。ただ、講演会が行われる前において、どのような発言がなされるかは予見しがたく、ヘイトスピーチが行われるという蓋然性は必ずしも高いとは言えない。

たとえ、講演会自体に反対の立場であったとしても、その機会をどうして奪うことができるだろうか。他者の聴く権利をどうして剥奪できるのだろうか。

自らの思想・信条とは異なる他者に対する批判は大いにあってよい。即ち、侃々諤々、喧々囂々、丁々発止の議論が忌憚無く行われることこそ、市井政治における民主主義のダイナミズムの本質と言えよう。

それは、皆で決めることであり、他者の存在が不可欠である。そのような場に自分と同じようなイデオロギーの持ち主(身内)が集まることは、決起集会であり、自分主義の極みである。そのような場を否定するつもりはなく、場の性質が異なることに留意しなければならないということだ。そこに、本当の意味での多様性はない。社会的マイノリティが集まればそれはその場においてはマジョリティになるからだ。

そして「左翼」「右翼」という鏡の関係にある両者が「中翼(仲良く)」あることにより、相互の調整が行われ、社会的合意形成に繋がるものと思う。そのためには、国民的議論が不可欠である。それは、社会的合意形成を構築するためのコミュニケーションである。

その際、どのようなことに気をつければ、自分の意見を伝え、相手に伝わるコミュニケーションを行うことができるのだろうか。国民的議論に際しては、市井政治における民主主義の作法を心得ておくことが重要だ。それを以下に3つ示す。

第一に「パヨク、反日、売国奴」「ネトウヨ、軍国主義、ナショナリスト」等の決めつけ、思い込み、偏見、レッテル張り、十把一絡げは慎むことが望ましい。これは、ミスコミュニケーションを防止し、相手と真摯に向き合って健全なコミュニケーションを行うための大前提である。故に「あばたもえくぼ思考」又は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い思考」等の感情的な論議は実に不毛である。

特に安倍首相に対し、熱烈な支持を寄せてそれが絶対的と思う「親安倍」や、反対に安倍首相を執拗なまでに憎む「反安倍」が見受けられる今日、そのことは特に強調しておきたい。

第二に、明鏡止水、理路整然、清く、正しく、美しく、正々堂々、法と根拠に照らし合わせ、事実に基づき公正に論ずることが望ましい。事実に基づかない、突拍子もない陰謀論は、感情に訴えるいわゆる「ポスト真実」を生み出す温床である。また、言論の自由とは零であり無ではない。故に、その根幹には人間としての倫理規範があるのだ。

つまり、差別的、侮辱的な言動は厳に慎まなければならないことは、言わずもがなである。傍から見ても、気持ちよく、嫌な気持ちにならないよう、公共的言論空間の秩序を重んじることが必要となる。

第三に、専断を排し衆議を重んじ、フランスの哲学者ヴォルテールことフランソワ=マリー・アルエの「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそう主張する権利は命をかけて守る」を念頭に置くことが望ましい。それは、自由主義の下、言論の自由並びに他者及び多様性を重んじ、寛容さを貫く姿勢に通じるものだ。異論に耳を傾けない様は、到底「対話」とは言えない。物事に対する論点は実に複雑であり、縦横斜め、と言った具合に横断的且つ俯瞰した視点が必要となる。

これらの市井政治における民主主義の作法は、言論の自由を前にしては無意味なものになるだろう。最終的には言論の自由だからだ。しかし、その行使方法により、議論が成立してコミュニケーションが取れるかどうか、相手に伝わる言論になるかどうかは変わってくるものと考える。

丸山 貴大 大学生
1998年(平成10年)埼玉県さいたま市生まれ。幼少期、警察官になりたく、社会のことに関心を持つようになる。高校1年生の冬、小学校の先生が衆院選に出馬したことを契機に、政治に興味を持つ。主たる関心事は、憲法、安全保障である。

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