隈研吾設計・新国立競技場に見る「日本人の選択」

2019年07月02日 06:00

先日ひょんなことで、千駄ヶ谷のあたりをクルマで移動していると、「新国立競技場」がすでにかなり建ちあがっていて、なかなかの壮観だった。かつての国立競技場に比べると圧倒的なマス感というか、巨大であることは間違いない。

しかしながら、当代随一の売れっ子建築家で、「負ける建築」を標榜する隈研吾氏設計だけのことはある。五重塔のごとく軒が張り出し、その軒の裏側に木を貼った独特の意匠が温かみを感じさせ、意外なほどに圧迫感がない。そして、間違いなく氏が得意とする「日本」を感じさせるデザインである。

新国立競技場(筆者撮影)

紆余曲折あった、隈研吾氏案に行き着くまで

そんな感想を持ちながら通りすがっていると、そういえばとここに至るまでの「新国立競技場」建設を巡る波乱万丈と言ってもよいような曲折を思い出さずにはおれなかった。

そもそも2020東京オリンピックを招致するにあたって、国立競技場を建て替え鳴り物入りの国際コンペに勝利したのは故ザハ・ハディッド氏だった。アンビルトの女王とも呼ばれたハディッド氏は、イラク生まれの女性という建築界異例のバックグラウンドもさることながら、異名通りその独創的すぎるデザインゆえにコンペで勝っても実際に建築されることが少ないことでも知られていた。

まさに彼女らしさ満点の「新国立競技場」案は、宇宙から舞い降りたようなデザインがインパクト抜群で、初めて見たときは圧倒されたものだった。2020東京オリンピックの選定に際して、その時点での彼女の「新国立競技場」案が世界の委員にアピールしたことは間違いない。(参照:新国立競技場公式サイト:最優秀賞ページ

新国立競技場ザハ・ハディッド氏案(日本スポーツ振興センターホームページより)

しかし、その後雲行きが怪しくなる。

当初案のキモだった、競技場を支える巨大な「キールアーチ」が、敷地の関係で原案通りまでは延ばせず、大幅な縮小を余儀なくされたのだった。改訂案では、当初のスケール感が大きく損なわれ、ちょっとサイクリングヘルメットのような違和感を禁じ得ないものになってしまったのだ。

なんとなく世間が「やっちまった感」を感じ始めた頃に、建築界の巨匠、槇文彦氏らが立ち上がり、ハディド氏の案が外苑という皇室にもゆかりある地に建つことの文化歴史的文脈からの隔絶感や、建物としての大きさやデザインの強さから際立ち過ぎる圧迫感などを論点に「再考」の論陣を張ったのである。

当初は今更何をという空気もあったし、ギルドの利権争いかななどと野次馬的な見方をしていたのだが、槇氏の代表作「東京体育館」は、まさに「新国立競技場」の隣にあるハディド氏と同じくフューチャリスティックな印象がある未来的なものだが、今やこじんまりとさえ感じられ、氏の主張通りいかに周辺の環境への調和を意図したものかがわかる。

東京体育館 Maki & Associates ホームページより

代官山ヒルサイドテラスはもちろんのこと、幕張メッセのような巨大な槇氏の作品でさえ圧迫感がないことから、筋金入りの氏の思想がうかがえる。(参照:槇総合計画事務所サイト

そんな世間の空気感の変化の中で、この辺が安倍政権の強いところだが、再コンペを実施して伊東豊雄、隈研吾という日本を代表する建築家2案の応募から現在建築中の隈案に決まったわけである。

隈研吾氏設計:新国立競技場 日本スポーツ振興センターホームページより

結局誰もが納得する良い決断

結果として実際の新国立競技場を未完成とはいえ私自身、実物を見て”良い選択”だったと思うし、きっと多くの日本人が同じ感想を抱くと思う。隈氏自身がインタビューで「いかに景観に溶け込むか」(「都心に住む2019年8月号」)を意識したと語っているように、周辺との調和感がある上に、何より「日本」を感じさせる佇まいである。

全体のフォルム、木の質感や、ディテールの意匠などすべての計算がこの印象を成立させていることだろうが、これが、当代一の人気建築家の力量だろう。日本人が安倍政権、隈研吾氏という世間の支持が高い日本のリーダーに本領を発揮させ、結果良い選択をしたことに異論はない。

日本人がしなかった選択が意味するもの

ただ、日本人がしなかった選択を考えれば、イラク出身(国籍はイギリス)の女性建築家が描いた宇宙船のような競技場は、結局建たなかったわけだ。

大阪万博のとき、先ほどの槇文彦氏の師匠「世界のタンゲ」こと、万博の建築プロデューサーである丹下健三氏と取っ組み合いの大ゲンカをして大屋根を突き破る「太陽の塔」を制作したのは岡本太郎氏だった。

参照:(現代ビジネス)1970年大阪万博の思い出を語ろう~「太陽の塔」をめぐって、岡本太郎と丹下健三が大喧嘩! 

枯れた「侘び寂び」という日本伝統とされる美意識ではなく、縄文のエネルギー、生命の爆発にこそ「日本」を見いだした芸術家岡本太郎氏も破天荒な人だったろうが、思想家でもあり多くの著書を残し今も若者に支持される。今回のいきさつを岡本太郎氏が生きていたら何と言っただろうか。

日本人の多様性や異文化への意識と逡巡

経済がグローバル化しダイバーシティが唱えられ、街にはインバウンドの外国人があふれながらも、ジム・ロジャース氏に言わせれば「日本人は外国人が嫌いだ」と見做される空気があることも否定できない。一時は金融ビッグバンと大挙して日本に進出してきた外国系金融機関もあらかた撤退するか、大幅に日本事業を縮小して帰ってしまった。

しょせん、現代社会は単純でなく、一面的な見方はできなかろうけれど、隈案の「新国立競技場」までの経緯を見ると、大胆なグローバリゼーション、異文化や多様性を強烈に意識しながらも、結局は「日本的」なるものに回帰する現代日本人の「日和見」を感じないとは思わない。

ザハ・ハディッド氏案の4000枚に及ぶ実施設計図面に宿る無念

埼玉県立近代美術館を皮切りに全国3美術館での巡回展「インポッシブル・アーキテクチャー」は実現しなかった建築を特集した見ごたえのある展覧会だったが、ザハ・ハディッド氏案の4000枚にも及ぶキレイに製本された「新国立競技場」実施設計図面が「すなわち、あとは着工して建設を待つだけの状態となっており、実現可能なプロジェクトだった。」(五十嵐太郎・東北大学教授・同展覧会公式図録)という無念の言葉を証明するかのように展示されていた。

今完成しようとしている隈研吾氏設計の新国立競技場はもちろん今の日本人の感性や心情を表象していることに間違いはなさそうだ。一方で、建たなかったザハ・ハディッド氏の新国立競技場もまた、アンビルトに終わったことを含め同じく現代日本人の心のひだを何らか示しているように思われてならないのである。

秋月 涼佑(あきづき りょうすけ)
大手広告代理店で外資系クライアント等を担当。現在、独立してブランドプロデューサーとして活動中。ライフスタイルからマーケティング、ビジネス、政治経済まで硬軟幅の広い執筆活動にも注力中。秋月涼佑のオリジナルサイトで、衝撃の書「ホモデウスを読む」企画、集中連載中。
秋月涼佑の「たんさんタワー」
Twitter@ryosukeakizuki

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秋月 涼佑
ブランドプロデューサー

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