稲盛和夫氏の盛和塾はなぜあれだけ盛り上がったのだろうか?

2019年07月21日 14:00

稲盛和夫氏が主導する盛和塾が今年の末に解散するにあたり最後の世界大会が先週開催され4800人もの参加者が内外から集まったと報じられています。

(稲盛和夫氏、盛和塾HPから:編集部)

(稲盛和夫氏、盛和塾HPから:編集部)

日本には著名な経営者は数多くいます。しかし、稲盛氏はある意味違うスタンスを持ち続けていたように思います。それは持てる自分の経験や能力、思想を仲間に限りなく、惜しみなく伝授し続けたことがあります。またその薫陶を受けたいと思う数多くの経営者やビジネスに携わっている人が自主的に、稲盛和夫氏風に言うならアメーバーがどんどん進化していったことも見逃せません。

盛和塾のメンバーは15000人もいるというのですから驚きであります。日本に於いてグループ形成はお家芸の一つですが、弱点はある程度の規模になると必ずと言ってよいほど内部分裂をして(わたしは細胞分裂と称しています。)決して大きくならず、巨大組織にならず、似たような集まりながらもお互いにライバル心や時としていがみ合う緊張感すら生まれるというのがパタンであります。

ところが盛和塾に限って言えば私の知る限り、多くのメンバーが実にまじめで同じ方向のベクトルを持っています。メンバーは各支部組織間を超えて様々な交流会を行い、塾の幹部で上場会社のトップや役員あるいはビジネス成功物語がある人たちを人生の師、ビジネスの先輩と拝み、教えを乞う、あるいはフィロソフィーを感じあうというひたむきさがあります。その学びには必ず「稲盛流思想」が背景にあるという落としどころがあることも重要な点でしょう。

また、多くの成功者や人生の先輩も決してまっすぐな道のりではなかった、その失敗や躓きをシェアしながらなかなか思った通りに進まない若手に勇気と希望を与えてきたというのが第三者的に見たこの塾の最大の特徴かと思います。

今年の世界大会には稲盛氏はご高齢と言うこともあり参加されませんでした。普通ならトップが来ないなら盛り下がるのが普通ですが、これだけの人が集まり、お互いに切磋琢磨したわけでこのような団体は類を見ないといってよいでしょう。

ではそのベクトルがぶれない理由は何だったのでしょうか?私は稲盛和夫氏という人の魅力ではないかと考えています。氏は決してやさしい人ではありません。JALの再建の際には様々な考えや派閥が入り乱れる同社に渇を入れ、「去りたいものは去れ、やりたいものだけが残れ」という強い姿勢を見せました。そんな同社の中では様々な意見が交錯し、稲盛氏に反発する社員も少ない数ではなかったと記憶しています。

それでも極めて短い期間で再建したのは金銭的対応ではなく、同社の社員が変わったことが最大の変化でありました。申し訳ないですが、倒産前のJALと今のJALでは社員の顧客や会社に対する愛が全く違います。それまではお金のことばかりに目がくらみ、待遇改善を要求するのが当たり前の行為であったわけです。山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」そのものでありました。今、私はJALに乗ると心地よく感じます。それはキャビンアテンダントの同じ言葉でも言わされているのではなく、心からサービスしますという気持ちが入っているからかもしれません。

盛和塾生はそんな稲盛氏の偉大な生き方、経営に対する考え方に接し、必死に勉強し、吸収してきています。素晴らしいと思います。かつて盛和塾を「一種の宗教集団」と揶揄する声がありました。それはビジネスをテクニック論だけで捉えようとしている本質を知らなさすぎる安っぽいひがみではないかと思っています。

来年以降も同塾は形を変えて続けていくことを模索しているようです。学ぶことの素晴らしさを与えてくれたのが盛和塾だったと思っています。これは日本の誇りだと思います。
では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年7月21日の記事より転載させていただきました。

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