まるで成長していない…。津田大介という男

2019年08月05日 06:01

デリケートなものを踏みにじる

この週末「あいちトリエンナーレ」の展示物が物議を醸した。

具体的には韓国の慰安婦運動の象徴たる少女像と昭和天皇の肖像写真を焼却した表現が話題となり、世論の反響を受けてこれらの展示は中止されたようである。

テロ予告や脅迫に挫折 「表現の不自由展」識者の見方は:朝日新聞デジタル

前者は外国の政治的プロパガンダであることは明白であり、とても行政機関の支援の対象になるものではない。この少女像の展示については既に池田信夫氏の指摘があり筆者としては付け加えるものは何もない。

池田氏論考:慰安婦像は「表現の自由」の問題ではない

後者は実にグロテスクなものであり「不敬」という声もあるが国民主権下の日本で「不敬」は成立しない。「不敬」を強調すると左派に逆手を取られかねないので注意が必要である。

とはいえ国民主権下の現在でも天皇制度廃止の声は極小派であり、少なくとも日本国民の間で天皇制度がデリケートなテーマであることは間違いない。

左派は慎重な対応が求められるものに対して大した理由もなく干渉、否定することがあるが今回の騒動もその一例である。

問題作のひとつ、焼却される昭和天皇像の映像(KBSニュースより:編集部)

個人写真の焼却は殺意の表現

今回の騒動では慰安婦運動の少女像ばかりが注目されているが、「昭和天皇の肖像写真の焼却」についてはあまりに触れられていない。行政機関が支援する事業で個人写真を焼却する表現はとても看過出来るものではない。

何故ならば個人写真を焼却する表現は積極的加害意思、はっきり言って殺意の表現と解釈することも可能だからである。反社会的であり流行りの言葉を使えば「ヘイト」である。

昭和天皇はもう崩御されたから問題ないというわけでもない。焼却対象が「昭和天皇個人」なのか「天皇の地位に就任している個人」なのかも判別しない。後者ならば今上天皇の安全にも影響が出る。殺意の表現を展示している事業が行政機関の支援対象になるなどありえない話である。

問題は行政機関の支援の有無に限らない。左派の一部は「表現の自由」を強調して今回の展示を正当化しているようだが個人写真の焼却が「ヘイト」にあたらず「表現の自由」で正当化されるならば、現在のヘイトスピーチ対策を巡る議論も大きな修正が必要となるだろう。

例えば昨年、杉田水脈氏が月刊誌で「LGBTは生産性がない」と表現し左派が猛反発した。

確かに不適切な表現ではあるが別にLGBTの方の殺害を意味するものではない。

また在特会・日本第一党関係者が在日コリアンの方に対して「祖国に帰るべきではないか」という表現をよくするがこれも素直に読めば、在日コリアンの方の殺害を意味するものではない。

昭和天皇の個人写真の焼却が「表現の自由」で正当化されるならば「LGBTの生産性の有無」「在日コリアンの祖国返還」の表現も正当化されるべきだという声も出てくるだろう。

誤解のないよう強調しておくが筆者はこの二つの表現を支持するものではない。

論を戻すが左派はこうした表現に「市民権」を与えたいのだろうか。

緊急会見をした津田大介氏(NHKニュースより:編集部)

芸術監督を務めた津田大介氏はヘイト問題に強い関心を持っていたはずだが「個人写真の焼却」について何も感じなかったのだろうか。

その津田氏だが展示について「劇薬」と表現しているがヘイト表現に「薬」としての価値を認めているのか。

津田大介氏一問一答「希望になると考えたが劇薬だった」(朝日新聞デジタル)

「殺意の表現」を安易に展示させたり、その正当化のために「劇薬」と発言してみたり津田氏は本当にヘイト問題に関心があるのだろうか。

まるで成長していない…

それにしても津田氏は政治的プロパガンダや殺意の表現の展示を認め、反発を受けないとでも思ったのだろうか。

自分達で挑発的な振る舞いを行い批判された途端、「検閲」を主張して「被害者」の地位を強調する姿勢は誤解を受けるだけだろう。

「被害者」の地位を手に入れたいがために意図的にヘイト表現を行ったと言われても仕方あるまい。

また筆者としては騒動の主役が津田氏ということにも注目したい。

筆者の世代(1983年生まれ)ならば「津田大介」と聞けば真っ先に思い浮かぶのが「ネットランナーの津田大介」ではないか。彼は情報流出のテクニックの紹介で一部マニアの間で有名になった人物である。

要するにアングラ出身であり、それ自体、もう昔の話であるし正直「若気の至り」で笑い話にしても良いものである。

しかし、どういうわけかいつ頃からか「ジャーナリスト」「メディア・アクティビスト」「教授」を名乗り始めた。今回の件では「芸術監督」である。

筆者は「ジャーナリスト」「メディア・アクティビスト」「教授」ましてや「芸術監督」として津田氏の実績は何も思い浮かばない。

今回の騒動でも津田氏は展示中止の根拠として「安全」を挙げたが、とても「芸術監督」が示す根拠ではない。「芸術監督」の肩書が無内容であることを自ら告白したようなものである。

芸術監督を罷免されるまで反対を貫くパフォーマンス(罷免後に展示物は撤去される)も出来たと思うが、そこまでの発想はなかったようだ。

色々な肩書があるようだが独自性を発揮出来ているのは頭髪の色だけというのは言い過ぎか。

今回の騒動を見る限り津田氏は2000年代初頭から変わっていない。彼はまだ「ネットランナーの津田大介」である。もちろんそこには「若気の至り」という微笑ましさもない。

ここであえてネットスラングを使えば「まるで成長していない…」というやつである。

頼むからもう少し上手く立ち回ってくれと思うのだが、まあ、それも難しい話か…

高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員

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