「慰安婦」全生存者の死去後の「反日」

8月15日は日本にとっては終戦記念日であり、戦いで亡くなった方々を慰霊する一方、未来に向かって改めて平和の祖国建設を宣誓する日だ。

一方、隣国・韓国では「光復節」と呼ばれ、日本の植民地から解放された日として大々的に祝う。民族が異なれば、その歴史も変わる。旧日本軍と共に戦ったという史実は脇に置かれ、「解放記念日」、ひいては日本軍に勝利した「戦勝記念日」と受け取る韓国国民もいる。

▲「光復節」で演説する韓国の文在寅大統領(韓国大統領府公式サイトから)

▲「光復節」で演説する韓国の文在寅大統領(韓国大統領府公式サイトから)

歴史は過去の史実より、後世の民族を高揚する内容に変質される傾向がある。その意味で、史実の集大成と呼ぶべき「歴史」は常に未来志向を強いられるわけだ。

「わが民族は間違いを犯した。多くの隣国に多大の犠牲を強いた。悔い改め、謝罪しなければならない」と歴史の教科書に記述され、それを学ばなければない国民はやはり哀れだ。

歴史観では韓国は歴史を書き換えても民族を誇る未来志向、日本は過去志向に拘される一方、日韓関係では、日本は未来志向を訴え、韓国は過去にとらわれ、未来志向が難しい、といった具合だ。

時事通信によると、「韓国の文在寅大統領は15日、日本の植民地支配からの解放を記念する『光復節』の式典で演説し、『日本が対話と協力の道に進むなら、われわれは喜んで手をつなぐ』と語った」という。

文在寅大統領は険悪化した日本との関係について「日本が対話を求めるならば、それに応じる用意がある」とソフトな表現にとどめ、反日は控えた内容だった。

その記事を読んで、大多数の日本国民は「文大統領が日本批判を控えたのは、日韓関係の悪化、韓国経済の悪化に対応するために、これまでに反日一辺倒の政策の間違いに気が付き、政策の修正に乗り出した」というふうには受け取らず、戦略的意図から出た発言だと考えるだろう。

日本側が求めているのは文大統領の言葉ではなく、行動だ。どのようにも解釈できるメッセージはもはや日本人にとって何の価値もない。韓国がその反日路線を修正するというのなら、言葉ではなく、行動で示すべきだろう。

韓国大統領の言葉は日本人にとって空言に過ぎない。繰り返すが、求められるのは行動だ。例えば、元徴用工問題の賠償問題では日韓請求権協定に基づいて韓国側が解決に乗り出すべきだろう。慰安婦問題でもそうだ。韓国側が対応すべき問題で、日本側に謝罪と賠償を求めるのは責任転嫁だ。

例えば、慰安婦問題だ。韓国政府が調査した段階では元慰安婦と認定された女性は240人だった。その数は今年8月4日現在で20人となった。2030年にはひょっとしたら元慰安婦生存者はいなくなるかもしれない。その時、韓国の「反日」は変わるだろうか。

歴史の証人がいなくなった時、換言すれば、元慰安婦がいなくなった場合、慰安婦問題を反日政策の中心に据えてきた韓国側の「反日」は変わるだろうか。慰安婦問題だけではない。第2次世界大戦から1世紀が経過した後の韓国の「反日」はどうなっているだろうか。

戦争を経験したこともなく、慰安婦といっても歴史書の中でしか知らない世代が(自称)慰安婦問題を糾弾できるだろうか。それとも、韓国の反日は時間の経過と共に消滅していくだろうか。少なくとも、変質していく運命は避けられないかもしれない。豊臣秀吉の韓国侵略(朝鮮出兵=文禄・慶長の役)を理由に21世紀の日本政府に賠償を請求すれば、国際社会は呆れてしまうだろう。

ポーランドでは反ユダヤ主義が席巻したが、同国では現在、国内にユダヤ人がほとんどいない。しかし、現在でも反ユダヤ主義は生き残り、益々活発化している。民族が一旦、憎悪の虜になれば、それを完全に払しょくできなくなり、他に感染し、拡大していくという典型的な例だ。

もう一つの実例を挙げる。アンネシュ・ベーリング・ブレイビク受刑者(犯行当時32)は2011年7月、ノルウェーの首都オスロの政府庁舎前の爆弾テロと郊外のウトヤ島の銃乱射事件で計77人を殺害した。ブレイビクはイスラムの北上を恐れていた。

北欧のノルウェーは欧州諸国の中でも最も裕福で安定した国で外国人率も10%以下だ。にもかかわらず、ブレイビクはイスラム教徒の増加を恐れ、欧州文化をイスラム教から守る使命感で蛮行に走った。

すなわち、ポーランドではユダヤ人のプレゼンスはほぼ皆無であり、ノルウェーでは、ブレイビクが恐れたイスラム北上への恐怖は実態がない。にもかかわらず、両ケースとも憎悪だけが生き生きとしているのだ。

同じ事が慰安婦を通じて反日を繰り返してきた韓国でも言えるかもしれない。時代の経過と共に犠牲者ともいうべき慰安婦や元徴用工がいなくなっても、それに起因した「反日」は消滅せず、生き延びていくと予想できるわけだ。

誤解を恐れずに言えば、文政権は、生存している元慰安婦20人のために、5000万人の国民の経済活動に大きなダメージを与えている。そして近い将来、もはやいなくなった元慰安婦の賠償を求めて反日を繰返すとすれば、非常にグロテスクだ。

「反日」の原動力は憎悪だ。憎悪にとって、慰安婦が生存していても亡くなったとしても関係はない。憎悪を拡大し、人間関係、民族関係、国家関係を破壊すればいいのだ。文在寅政権は憎悪の虜になっていることに早く気が付くべきだ。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年8月16日の記事に一部加筆。