NHK「昭和天皇 拝謁記」の悪質な歪曲に呆れる

八幡 和郎

NHKスペシャル「昭和天皇 拝謁記」は、なかなか力作だったが、それほどの大発見でもないものを誇張し、しかも、底が浅くリアリティのない解説をつけて、歴史の謎が明らかにされたがごとき粉飾したものでNHKの恥知らずは尽きることがない。いい加減、8月15日前後に無理してワンパターンの特別番組つくって国民を惑わせることは止めて欲しい。

NHKスペシャル「昭和天皇は何を語ったのか ~初公開・秘録『拝謁(はいえつ)記』」より

まず、たしかにこの資料は新発見らしいが、すでに「田島日記」は公開されており、『「田島道治日記」を読む 昭和天皇と美智子妃 その危機に』(文春新書:加藤 恭子 著、 田島 恭二 監修)という解説書も2010年に出版されており、それとそれほど大きく違うものでないが、番組では「田島日記」に触れていなかった。

また、天皇退位論は1948年で終わっていたと考えられていたのに、講和条約発効時にまだ議論が残っていたのが意外と強調していたが、「講和条約期における天皇退位問題」(河西秀弥)という立派な論文もあるし、とくに、木戸幸一・元内大臣が1951年に意見具申して退けられていることもよく知られていた史実であって、どこが意外なのかさっぱり分からない。

さらに、最初の紹介で「人間宣言」を出してなどという言葉も使っていたが、あの年頭勅語が人間宣言と呼ばれるべきものでないと、昭和天皇自身が「抗議」しているのだから、せめて、「いわゆる『人間宣言』」と言わないとおかしい。

番組では、昭和天皇があたかも、退位を望んでおられたような解釈を前提に、吉田茂や田島が止めたような印象で構成されていた。しかし、これまでもそういう見方はなかったし、今回の『拝謁記』もそう解釈できるような材料はない。

終戦のときから、もし退位があるとすれば、皇太子が即位して、高松宮が摂政的な役割をというのが自然だが、昭和天皇は高松宮が当初はタカ派に近くのちには早期終戦と揺れ動いたことに不信感を持っており、それを望まなかったのはよく知られた通りだ。

ただ、場合によっては、さまざまな理由で退位が不可避となることもあるとは意識され、その場合にどうするかを用意周到に準備したいと考えられていたわけで、それが、番組でも紹介された「東宮ちゃんに早く外遊を」という発言にもつながったのである。それをあたかも、本音としては退位されたがっていたのだというような風にとれる紹介をするのは、一般視聴者に誤解を与えるものだろう。

「反省」を表明することに昭和天皇がこだわり、吉田首相が反対したのは当然である。老練な外交官としての吉田が、安直に天皇が反省を口にしたときに起きるイレギュラーバウンドをあれこれ考えてストップをかけたというのはごく自然なことだ。

そもそも、昭和天皇がされたがっていた反省というのは、それほど論理的に説明できるものでなく、また、細かく説明しだしたら、必ず、どこかから批判が出ることが予想されたのである。

張作霖爆殺事件のときに関東軍の首謀者らを厳罰に処しておけば下克上など起きなかったというが、それでは、そのように天皇が正面に出て厳命すべきだったのかといえば別の問題なのであるし、そうだとすれば、なにをどう反省するのかを明らかにすることは難しかったと思う。

ただ、興味深かったのは、昭和天皇と吉田首相がこのやりとりの過程で、田島を介して交渉し、直接に議論しなかったかが気になった。吉田の前任の芦田首相が実質的な内奏を廃止したことを継承していたらしい。

ただ、吉田茂は戦時中の昭和天皇にもともとかなり批判的だったわけで、それも背景にあったのではないか。吉田は戦後の昭和天皇は、戦前の経験を生かされて立派だったと言っているが、つまり、戦前・戦中についてはかなり批判的だったということだ。

一言で言えば、吉田は大胆不敵でメリハリを付けた対応を好み、昭和天皇はあれやこれや配慮するタイプだから合わない。吉田が昭和天皇の叱責で辞任死去した田中義一に外務次官にしてもらって恩義を感じていたとか、昭和天皇に早期終戦を迫ったが受け入れられなかった近衛上申書にも深く関わっていたとかもある。

年齢的にも吉田の方が上だから天皇の意見を自分で丁寧に聞いて説得するなどというのは吉田が好みそうもない。

もちろん、それは、維新の原動力となった土佐の吉田が皇室に対して敬意を持っていなかったということではない。ただ、それは皇室という存在に対する敬意であって、天皇とか皇族の意見に無批判に従うという姿勢を意味するのではないのである。

歴史研究家が何人か登場していたが、あまり有意義なコメントは出てこなかった。外交や政治や皇室についてのリアリティの知識や感覚がない人が推理や解釈などしても価値がある分析などできるはずがない。資料分析の専門家は参考意見を言うだけに留めておいてほしいものだ。

さらに、南京事件について、「下のものから噂は聞いていたが」それほどの事とは思わなかったが、東京裁判での話を聞いたら酷い話だったというような天皇の発言が紹介されていたが、それは、それなりの規模の不適切行為があったと昭和天皇が戦後になって聞かれそれを事実と認められていたことの証言ではあって、南京事件全面否定論者にとっては嫌な証言だろうが、一方、30万人とかいった中国側の流しているデマまでも肯定されていたことではないので、そこをきちんと説明しなかったのは嫌だった。

八幡 和郎
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授